fc2ブログ
123456789101112131415161718192021222324252627282930
個別記事の管理2014-08-26 (Tue)
広島平和記念公園内の施設を紹介します。

原爆の子の像

良く写真などで見かけると思います。

佐々木貞子さん(像のモデル)が原爆による白血病で死去。

1955年11月8日に、佐々木貞子さんの死を新聞で知った青年から、

貞子さんを始め、原爆で亡くなった子供の霊を慰める石碑を作ろう」と、

貞子の同級生に提案が有り、その設置に関する活動が始まった。

12日に全日本中学校長会場で「貞子の同級生8人によるビラ配り」が行われ、

全国の中学校からもj寄付が寄せられた。

12月に入ると広島市内の小・中・高校へも活動の参加を呼び掛け、

広島平和をきづく児童・生徒の会」が組織された。

翌年(1956年)には、街中での募金活動が繰り返し行われ、年末までに540万円もの寄付金を集めた。

後に募金活動の波紋が広がり、全国から三千校以上の学校が参加をするに至り、

海外からも寄せられた。

1958年5月5日に完成。

そうした事実に基づく映画作品「千羽鶴」(木村壮十二監督)も公開され、図書館などで鑑賞が行える。



像の真下にある石碑には、

これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための

と刻まれている。

裏側には”犠牲となった児童生徒を慰霊し世界平和を呼びかけるために、全国の友の支援をうけ、

広島市内小・中・高校有志によって設置された


と「広島平和をきずく児童生徒の会」による説明文が書かれている。

内部には鐘があり、中に吊られている折り鶴を象った金色の鐘が風を受けて揺れると、

風鈴のように鳴る仕掛けになっている。

鐘に刻まれている文字は、湯川秀樹が揮毫した。
(ウィキペディアより引用)


1962年広島平和記念公園・原爆の子の像


広島・原爆の子の像     原爆の子の像
原爆の子の像


原爆供養塔

1945年(昭和20年)広島市への原爆投下により亡くなった引き取り手の無い遺骨を供養して居る

この辺りは爆心地近辺で有り、身元不明の多くの死体が焼かれた。

翌く1946年(昭和21年)、広島戦災供養会(超宗派団体)を中心とした市民の寄付により

仮説の供養塔、納骨堂、礼拝堂が建立された。

老巧化に伴い、1955年に現在の物に建て直され、市内に散らばっていた身元不明の遺骨は

ここに集められ供養されている。
(ウィキディアより引用)

廣島原爆記念塚・1962年(昭和37年4月)318
1962年広島平和記念公園・原爆供養塔


広島・原爆供養塔
広島平和記念公園・原爆供養塔

亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りいたします。


我が家ではこんな事が有ったのだ。

1945年8月、母は我々子供を連れて出産の為島を離れ、松山に疎開をして居たのだ。

遠~い親戚の女の子が8月6日、対岸の広島の方を見ていたと言う。

その女の子は母親に「今、広島にお日さまが落ちたよ!

と、知らせたと言う。

その子の母親は「馬鹿な。お日さまが落ちる訳が無い。変な事を言う子だよ!

と取り合わなかったという。

母はその話を後日、女の子の母親から聞いたと言う。

あとで原子爆弾のニュースを知って、あの子は原子爆弾を見たに違いないと確信したと言う。

その話は、8月6日になると何時も母から聞かされたのである。



ご訪問有難う御座います。
お帰りにポチっとお願いします。
にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



* Category : 1962年ゴールデンウイーク
* Comment : (0) * Trackback : (0) * |
コメント







管理者にだけ表示を許可する