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お正月休みを利用して、新たに引っ越した田舎の家に帰る事にしたのだ。
東京から寝台特急で四国に渡ったのだ。
新しい家は以前居た所より、もう少し山に近い所にあった。
玄関が家族用と来客用と2つあり、部屋数も多かったのだ。
お正月と言えども、東京と違い田舎では遊びに行く所が無い。
数人の仲良しだった友達を家に呼んで賑やかに夜遅くまで
お喋りの花が咲いたのだ。
何も気にしなくて喋れる事が嬉しかった。
帰りはお土産を沢山貰ったが、重いので姉と相談して、食べ物は出来るだけ
お腹に入れて、手荷物を少なくする事にした。
食べては寝て、食べては寝ての繰り返しで東京駅に着いた時には、
荷物は少なくなって居たが、お腹は一杯で動けなくなって居たのだ。
体重は2キロ位は増えて居たかも知れなかった。
途中、岡山駅では桃娘が桃を売りに来る。
窓を開けて窓から桃を買うのだ。
すぐに食べるのだが、それはそれは美味しい。
あの時の桃の味は今でも忘れられない。
岡山と言えば「吉備団子(きびだんご)」が有名である。
岡山は『桃太郎伝説』の発祥地。
日本全国で脈々と語り継がれてきた『桃太郎話』に登場する『吉備団子』は、
古くから黍(きび)の産地であった岡山の風土が生んだ自然の恵みだ。
桃太郎のおとぎ話では犬・キジ・猿にきびだんごを与えお供する事がしられるが、
元禄のころまでは「きびだんご」では無く、「とう団子」などだったと言う考察がある。
きびだんごは、廣榮堂が安政(1854年・1859年)の初めに考案したというのが定説になっている。
この廣榮堂は、以後、廣榮堂本店と廣榮堂武田に分かれて現在に至っている。
初めは岡山城下の町人が、赤色のかきもち風の四角形の和菓子を茶受け用として製造した。
かきもち状の菓子を「きびだんご粉」と名付けて吹聴したのが今のきびだんごの起源であると
明治の風俗史研究家、紅の家お色(紅廼家お色)「きびだんご考」に記されて居ると言う。
今日の求肥制(ぎゅうひせい)のやわらかい箱詰めの「吉備団子」になったのは、武田浅次郎の代の
出来ごとであると、西尾吉太郎(「山陽新報」創設者)談にある。
その後、1885年(寝維持18年)に明治天皇が岡山に行幸の際、旧池田藩の者から献上され、
たいへん美味と言う事で「日本のふたつとあらぬ吉備団子/むべあじわいに名をえしや是」の一首を
賜り、この御製を菓子箱に刷り込むようになった。
(ウィキペディアより一部引用)

廣榮堂本店の『むかし吉備団子』
楽しかった帰郷もあっという間に終わった。
次の日からまた忙しい仕事が待って居た。
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お腹に入れて、手荷物を少なくする事にした。
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荷物は少なくなって居たが、お腹は一杯で動けなくなって居たのだ。
体重は2キロ位は増えて居たかも知れなかった。
途中、岡山駅では桃娘が桃を売りに来る。
窓を開けて窓から桃を買うのだ。
すぐに食べるのだが、それはそれは美味しい。
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岡山と言えば「吉備団子(きびだんご)」が有名である。
岡山は『桃太郎伝説』の発祥地。
日本全国で脈々と語り継がれてきた『桃太郎話』に登場する『吉備団子』は、
古くから黍(きび)の産地であった岡山の風土が生んだ自然の恵みだ。
桃太郎のおとぎ話では犬・キジ・猿にきびだんごを与えお供する事がしられるが、
元禄のころまでは「きびだんご」では無く、「とう団子」などだったと言う考察がある。
きびだんごは、廣榮堂が安政(1854年・1859年)の初めに考案したというのが定説になっている。
この廣榮堂は、以後、廣榮堂本店と廣榮堂武田に分かれて現在に至っている。
初めは岡山城下の町人が、赤色のかきもち風の四角形の和菓子を茶受け用として製造した。
かきもち状の菓子を「きびだんご粉」と名付けて吹聴したのが今のきびだんごの起源であると
明治の風俗史研究家、紅の家お色(紅廼家お色)「きびだんご考」に記されて居ると言う。
今日の求肥制(ぎゅうひせい)のやわらかい箱詰めの「吉備団子」になったのは、武田浅次郎の代の
出来ごとであると、西尾吉太郎(「山陽新報」創設者)談にある。
その後、1885年(寝維持18年)に明治天皇が岡山に行幸の際、旧池田藩の者から献上され、
たいへん美味と言う事で「日本のふたつとあらぬ吉備団子/むべあじわいに名をえしや是」の一首を
賜り、この御製を菓子箱に刷り込むようになった。
(ウィキペディアより一部引用)

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