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1997年7月1日・香港は中国に返還されることになっていた。
香港返還(ホンコンへんかん)とは、
1997年7月1日に香港の主権がイギリスから中華人民共和国へ
返還、再譲渡された出来事である。
1842年の南京条約(第1次アヘン戦争の講和条約)によって香港島が、
清朝からイギリスに割譲された。
さらに、1860年の北京条約(第2次アヘン戦争(アロー号戦争)の
講和条約)によって、九龍半島の南端が割譲された。
その後、イギリス領となった2地域の緩衝地帯として新界が注目され、
1898年の展拓香港界址専条によって、99年間の租借が決まった。
以後、3地域はイギリスの統治下に置かれることとなった。
1979年、香港総督として初めて北京を訪問したクロフォード・マレー・マクレホースは、
中華人民共和国側に香港の帰属をめぐる協議を提案した。
しかし、中国側は「いずれ香港を回収する」と表明するに留まり、
具体的な協議を避けた。
それでもイギリス側は「1997年問題」の重要性を説き続け、1982年9月には
首相マーガレット・サッチャーが訪中し、ここに英中交渉が開始されることになった。
1984年12月19日に、両国が署名した中英連合声明(英語版、中国語版)が発表され、
イギリスは1997年7月1日に香港の主権を中国に返還し、香港は中国の
特別行政区となることが明らかにされた。
中国政府は鄧小平が提示した一国二制度(一国両制)をもとに、社会主義政策を
将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないことを約束した。
この発表は、中国共産党の一党独裁国家である中国の支配を受けることを
良しとしない香港住民を不安に陥れ、イギリス連邦内のカナダやオーストラリアへの
移民ブームが起こった。
返還後に香港特別行政区政府が成立し、董建華が初代行政長官に就任した。
旧香港政庁の機構と職員は特別行政区政府へ移行した。
また、駐香港イギリス軍は撤退し、代わりに中国本土から人民解放軍駐香港部隊が
駐屯することになった。
【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】 より一部抜粋
詳しくは「ウィキペディア」をご覧ください。
香港返還の当日は交通事情が異なるかもしれないと思い、
アイちゃんと二人で6月28日に香港の街を散策に出掛けた。

写真① 香港島から九龍(カオルーン)へ向かうフェリーから写す
(1997年6月28日)

写真② 尖沙咀(チムサーチョイ)のミュージアムオブアートの近くでは、
もうすでに柵がしてあり、建物に近づけないようになっていた。
(1997年6月28日)

写真③ 時計台の下ではドラゴンのオブジェが出来ていた。
(1997年6月28日)

写真④ プロムナードの近くには日本のテレビ局が場所を確保していた。
(1997年6月28日)

写真⑤ スターフェリーに乗り、できたばかりの「コンベンション&エキディビジョンセン
ター」を見ながらセントラル(中環)に渡った。(1997年6月28日)

スターフェリー(画像をお借りしました)
続く
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香港返還(ホンコンへんかん)とは、
1997年7月1日に香港の主権がイギリスから中華人民共和国へ
返還、再譲渡された出来事である。
1842年の南京条約(第1次アヘン戦争の講和条約)によって香港島が、
清朝からイギリスに割譲された。
さらに、1860年の北京条約(第2次アヘン戦争(アロー号戦争)の
講和条約)によって、九龍半島の南端が割譲された。
その後、イギリス領となった2地域の緩衝地帯として新界が注目され、
1898年の展拓香港界址専条によって、99年間の租借が決まった。
以後、3地域はイギリスの統治下に置かれることとなった。
1979年、香港総督として初めて北京を訪問したクロフォード・マレー・マクレホースは、
中華人民共和国側に香港の帰属をめぐる協議を提案した。
しかし、中国側は「いずれ香港を回収する」と表明するに留まり、
具体的な協議を避けた。
それでもイギリス側は「1997年問題」の重要性を説き続け、1982年9月には
首相マーガレット・サッチャーが訪中し、ここに英中交渉が開始されることになった。
1984年12月19日に、両国が署名した中英連合声明(英語版、中国語版)が発表され、
イギリスは1997年7月1日に香港の主権を中国に返還し、香港は中国の
特別行政区となることが明らかにされた。
中国政府は鄧小平が提示した一国二制度(一国両制)をもとに、社会主義政策を
将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないことを約束した。
この発表は、中国共産党の一党独裁国家である中国の支配を受けることを
良しとしない香港住民を不安に陥れ、イギリス連邦内のカナダやオーストラリアへの
移民ブームが起こった。
返還後に香港特別行政区政府が成立し、董建華が初代行政長官に就任した。
旧香港政庁の機構と職員は特別行政区政府へ移行した。
また、駐香港イギリス軍は撤退し、代わりに中国本土から人民解放軍駐香港部隊が
駐屯することになった。
【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】 より一部抜粋
詳しくは「ウィキペディア」をご覧ください。
香港返還の当日は交通事情が異なるかもしれないと思い、
アイちゃんと二人で6月28日に香港の街を散策に出掛けた。

写真① 香港島から九龍(カオルーン)へ向かうフェリーから写す
(1997年6月28日)

写真② 尖沙咀(チムサーチョイ)のミュージアムオブアートの近くでは、
もうすでに柵がしてあり、建物に近づけないようになっていた。
(1997年6月28日)

写真③ 時計台の下ではドラゴンのオブジェが出来ていた。
(1997年6月28日)

写真④ プロムナードの近くには日本のテレビ局が場所を確保していた。
(1997年6月28日)

写真⑤ スターフェリーに乗り、できたばかりの「コンベンション&エキディビジョンセン
ター」を見ながらセントラル(中環)に渡った。(1997年6月28日)

スターフェリー(画像をお借りしました)
続く
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