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個別記事の管理2015-10-21 (Wed)
神戸南京町に行ってから2週間後に再び神戸を訪れた。

今度は全く違うメンバーで神戸の三宮駅から北野へ行った。

北野の異人館巡りをしたのだ。



北野町・山本通 異人館街の歴史

神戸の北野が歴史上に現れたのは、今からさかのぼること、

治承四年(1180年)の福原遷都に際し、平清盛が都の鬼門鎮護のため、

京都の北野天満宮をこの地に勧請したことによる。

時代が下って、明治の開港まで北野から三宮の地域は、神戸村、北野村という農村であり、

砂浜と田畑と山野がひろがっていた。

なかでも北野村は居留地にもっとも近い山麓の恵まれた位置にあり、

開港当時の家数60戸、人数230人であった。

一方の山本通は明治になって山手方面の新道開設のうえで生まれた地名で、

同7年から現在の町名が付けられた。

その位置は北野村、中宮村の一部からなっていた。


北野町に異人館街が誕生した理由は、開港後の来日外国人の増加による

居留地の用地不足にあった。

諸外国との条約上、居留地を広げることは治外法権区域の拡大を意味するため、

明治政府は、東は生田川、西は宇治川の範囲を限って日本人との雑居を認め、

居留地から山手に延びる南北道の整備を行った。

このため居留地や港が南に一望できる環境のよい山手の高台に外国人住宅である

異人館が集まり、のちには居留地の仕事場に山手から通勤するライフスタイルも定着した。

明治時代から昭和初期にかけて二百余棟建てられた。

異人館の建築については、形はほぼ「コロニアルスタイル」と呼ばれる様式に集中しており、

神戸の異人館では、ベランダ、下見板張りペンキ塗りの外壁、ベイウィンドウ(張り出し窓)、

よろい戸、赤レンガ化粧積み煙突などが特徴となっている。


しかし昭和1939年(昭和14年)の第二次世界大戦の勃発、同16年の

太平洋戦争への突入は、永く神戸に住んでいた在留外国人の国外退去や

母国への帰国を招き、北野界隈をはじめ神戸の山手の外国人と共生してきた環境は

大きく損なわれることとなった。しかもこの戦争による空襲の被害は、多くの異人館や

歴史的なストックを失わしめることとなった。

第二次世界大戦の敗戦は、神戸の市街地に壊滅的な被害をもたらした。

旧居留地をはじめ山手にも空襲の被害が及び、山手通の道路を挟んで南側は

一部を除いて殆ど焼失区域に含まれていた。

そのようななかで、山本通から北側の山際に至る細長い北野町1丁目から4丁目に至る

ベルト状の一帯が、かろうじて戦災を免れた。


戦後も1960(昭和35)年頃までは二百棟近い異人館が点在していたが、

60~70年代の高度成長期以降、次第にビルやマンションへの建て替えが進み、

異人館街の破壊が進んだ。

75年頃より女性向け雑誌が相次いで神戸異人館の特集を組み、さらに77年放送の

NHK連続テレビ小説『風見鶏の館』で取り上げられたことにより人気が沸騰し、

異人館の存在は広く知られるようになり、閑静な有宅地であった北野町界隈は

一躍観光地といて有名になった。


異人館の保存・活用が本格化したのは70年代以降のことである。

住民や商業者が協力し、界隈の道に愛称を公募し、北野坂・ハンター坂・

不動坂・北野通りなどの名が付けられた。

これがきっかけで街路整備から異人館や景観の保全活動へと進んでいき、

市が風見鶏の館や萌黄(もえぎ)の館を借り上げて公開したことをはじめ、

80年(昭和55年)には文化財保護法による伝統的建造物群保存地区の指定を受け、

保存・修理に取り組むようになった。さらには遊歩道の整備、シティループの運行など、

建物だけでなく、街全体の観光地化が進んでいった。



95年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災により異人館も

大きな被害を受けたが、残された30棟あまりの建物は全国から駆けつけた

自治体・大学・研究機関・ボランティアの方々の支援もいただきながら

速やかに修復作業が進められ、観光地としての異人館は復興を遂げた。

(神戸北野異人館街 神戸北野ヒストリーより)




風見鶏の館 (旧トーマス住宅)

明治42年(1910)、ドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏が自邸として

建てた建物です。 北野・山本地区に現存する異人館の中で、レンガの外壁の

建物としては唯一のもので、その色鮮やかなレンガの外壁と尖塔の風見鶏は

北野異人館のシンボルとして欠かせない存在になっています。

国指定重要文化財でもあります。



神戸観光(1992年5月30日)風見鶏
神戸北野・風見鶏(1992年)




うろこの家・うろこ美術館

うろこの館は神戸で最初に公開された異人館で、外壁の天然スレート石の形状が

魚のうろこに見えることからこの名で親しまれています。

国登録有形文化財、兵庫住宅百選の一つとなっています。

また、西隣には美術館が建設されており、堀江優氏の作品などが展示されています。



神戸観光(1992年5月30日)うろこの家①
神戸北野・うろこの家(1992年)



神戸観光(1992年5月30日)うろこの家②-1
神戸北野・うろこの家(1992年)




萌黄の館

明治36年(1903年)アメリカ総領事ハンターシャープ氏の邸宅として

建築された洋館です。その名のとおり、萌黄色の外壁に包まれています。

2階のサンルームからは、神戸の美しい街並みが楽しめます。

「国指定重要文化財」の異人館です。



神戸異人館・萌黄の館
神戸異人館・萌黄の館
(画像お借りしました。)



英国館

イギリス人が居住していた洋館です。典型的なコロニアル様式で

イギリスが色濃く出ている建物です。

夜には本格的なバーを営業中。幅広い年齢層に人気!



神戸異人館・英国館
神戸北野異人館・英国館
(画像お借りしました)



他にはベンの家、香りの家オランダ館、デンマーク館、神戸北野美術館など

沢山有る。



この辺りはかなりきつい坂道になっているので小さいお子様や

お年寄りの方はたいへんかもしれない 。 

ベランダから見る景色はすばらしいものだ。


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