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6月の末に夫から「マカオに行って見ようと思うけど行くか?」
と声が掛かった。
二つ返事で「行くよ~~~!!」
「もしかしてカジノ?」
「カジノは無理。行って見るだけ・・・」
ず~~~と香港の中だけだったのでそれでもよかったのだ。
マンションの窓から見える景色で、いつも気になっていたビルがあった。
赤い線が2本入った紺色のビルだった。
「あそこがマカオフェリーターミナルだよ。」
と言われていた。

マンションの窓から見えるマカオフェリーターミナル(1991年)
その日は非常に良いお天気だった。
早めに家を出て地下鉄で「上環(ションワン)駅」に行った。
なんだかワクワクする。
マカオに行くにはパスポートが必要になる。
チケットを買っていざ乗船。 ジェッ船は早い。
約60分で到着。
マカオに到着し、地図を頼りにあちこちを見て歩く。
街並みはポルトガル領なので香港とはかなり違ってとても綺麗だ。
昼食は夫が友達から教えて貰ったと言うレストランへ入った。
一応ポルトガル料理らしかった。
聖ポール天主堂跡
まさにマカオの象徴ともいえる建築物、聖ポール天主堂跡。
1602年から1640年にかけて建設され、完成当時は荘厳な姿で
丘の上に建っていた教会だったが、1835年の火災によって焼け落ちてしまったため、
教会の正面の壁と68段の階段だけが残る現在の姿となった。
建設当時、日本ではキリシタン弾圧の下にあり、多くの日本人キリシタンたちが
マカオへ渡って教会の建設に携わった。
教会地下には天主堂芸術博物館と納骨堂があり、日本人キリシタンの
殉教者の聖骨も納められている。
危うく傾いている構造物が破壊されるという声に抗して、マカオ文化局のもとで
歴史的経過を研究するために、1990年から1995年にかけて遺跡が発掘された。
地下納骨堂と基礎が掘り出され、建物の建築計画が明らかになった。
日本人キリスト教徒の殉教者や、イエズス会の神学校コレジオの
マカオでの設立者アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父を含む修道僧の遺骨とともに、
数多くの宗教遺物も一緒に発見された。
これらの遺跡は、マカオ政府によって復元され博物館となり、そしてファサードは、
今、ファサードの美しいもとのままの状態を残すような方法で、コンクリートと
鋼鉄で支えられている。
鋼鉄製の階段で、旅行者は、背面からファサードの上段まで登ることができる。
幸運のために、階段から遺跡の上段の窓に硬貨を投げることが習慣となっている。
(ウィキペディア引用)

マカオ 聖ポール天主堂跡 (画像お借りしました)
我々がマカオに行った1991年はまさに遺跡の発掘中であった為に
足場が組まれてこの様な状態だった。

マカオ 聖ポール天主堂跡 (1991年)
続く
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「もしかしてカジノ?」
「カジノは無理。行って見るだけ・・・」
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赤い線が2本入った紺色のビルだった。
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なんだかワクワクする。
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街並みはポルトガル領なので香港とはかなり違ってとても綺麗だ。
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一応ポルトガル料理らしかった。
聖ポール天主堂跡
まさにマカオの象徴ともいえる建築物、聖ポール天主堂跡。
1602年から1640年にかけて建設され、完成当時は荘厳な姿で
丘の上に建っていた教会だったが、1835年の火災によって焼け落ちてしまったため、
教会の正面の壁と68段の階段だけが残る現在の姿となった。
建設当時、日本ではキリシタン弾圧の下にあり、多くの日本人キリシタンたちが
マカオへ渡って教会の建設に携わった。
教会地下には天主堂芸術博物館と納骨堂があり、日本人キリシタンの
殉教者の聖骨も納められている。
危うく傾いている構造物が破壊されるという声に抗して、マカオ文化局のもとで
歴史的経過を研究するために、1990年から1995年にかけて遺跡が発掘された。
地下納骨堂と基礎が掘り出され、建物の建築計画が明らかになった。
日本人キリスト教徒の殉教者や、イエズス会の神学校コレジオの
マカオでの設立者アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父を含む修道僧の遺骨とともに、
数多くの宗教遺物も一緒に発見された。
これらの遺跡は、マカオ政府によって復元され博物館となり、そしてファサードは、
今、ファサードの美しいもとのままの状態を残すような方法で、コンクリートと
鋼鉄で支えられている。
鋼鉄製の階段で、旅行者は、背面からファサードの上段まで登ることができる。
幸運のために、階段から遺跡の上段の窓に硬貨を投げることが習慣となっている。
(ウィキペディア引用)

マカオ 聖ポール天主堂跡 (画像お借りしました)
我々がマカオに行った1991年はまさに遺跡の発掘中であった為に
足場が組まれてこの様な状態だった。

マカオ 聖ポール天主堂跡 (1991年)
続く
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