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中学校同期会は無事終わり、8月2日は自由解散だったので、
同じ方面に帰る友達と3人で比叡山延暦寺に行く事にした。
湖西線坂本駅から江若バスで数分、ケーブル坂本で下車。
坂本ケーブルに乗りケーブル延暦寺で下車。

坂本ケーブル(2015年8月2日)

延暦寺は標高848m有り、地上に比べれば格段に涼しかった。
案内板を見ながら延暦寺内へと入って行った。

比叡山案内板(2015年8月2日)

延暦寺に行く山道(2015年8月2日)

山道に有った野苺が可愛らしかった(2015年8月2日)

これより比叡山延暦寺に入る(2015年8月2日)
左手奥にて拝観料700円を支払う

現在延暦寺は国宝の「根本中堂」ならびに重要文化財の回廊を
平成28年度から約10年を掛けて大改修すると言う事で、
すでに平成27年度は予備調査事業が行われ内部は
鉄パイプの櫓が組まれていた。

延暦寺(えんりゃくじ)
平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた
日本天台宗の本山寺院である。
住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。
平成6年(1994)には、古都京都の文化財の一部として、
(1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受け)1994年に、
古都京都の文化財としてユネスコ世界文化遺産にも登録された。
延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた
円仁、円珍、融通念仏宗の開祖良忍、浄土宗の開祖法然、
浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、
日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが
若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。
比叡山は文学作品にも数多く登場する。
また、「12年籠山行」「千日回峯行」などの厳しい修行が
現代まで続けられており、日本仏教の代表的な聖地である。
比叡山の山内は「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」
と呼ばれる3つの区域に分かれている。
これらを総称して「三塔」と言う。
まずはじめに「根本中堂」へ行った。
延暦寺根本中堂
延暦寺根本中堂(えんりゃくじこんぽんちゅうどう)は、比叡山延暦寺の総本堂である。
根本中堂は何度も火事や戦禍によって焼失している。

伝教大師最澄が788年(延暦7年)に、一乗止観院という草庵を
建てたのが始まりとされる。
本尊は最澄が一刀三礼して刻んだ薬師瑠璃光如来と伝えられており(秘仏)、
その宝前に灯明をかかげて以来最澄のともした灯火は1200年間
一度も消えることなく輝き続けているので、不滅の法灯と
呼ばれる(焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)。
南側に中庭が配置される寝殿造となっており、
その中庭に日本中の神々を勧請する竹台がある。
堂内は外陣・中陣・内陣に分かれ、本尊を安置している内陣は
中陣や外陣より3mも低い石敷きの土間となっており、
内陣は僧侶が読経・修法する場所であることから別名「修業の谷間」といわれる。
内陣の本尊・不滅の法灯と中陣の参詣者の高さが同じという
珍しい構造になっており、これを天台造又は中堂造と呼ばれ、
天台仏堂の特色を示している。
中陣の天井は「百花の図」といわれ、二百に及ぶ草花が極彩色で描かれている。
柱は76本あり、諸国の大名が寄進したことから「大名柱」と呼ばれる。
中陣中央には玉座がり、その上に昭和天皇宸筆の「伝教」と
書かれた額が掲げてある。
ウィキペディアより 堂内は撮影禁止

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同じ方面に帰る友達と3人で比叡山延暦寺に行く事にした。
湖西線坂本駅から江若バスで数分、ケーブル坂本で下車。
坂本ケーブルに乗りケーブル延暦寺で下車。

坂本ケーブル(2015年8月2日)

延暦寺は標高848m有り、地上に比べれば格段に涼しかった。
案内板を見ながら延暦寺内へと入って行った。

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延暦寺に行く山道(2015年8月2日)

山道に有った野苺が可愛らしかった(2015年8月2日)

これより比叡山延暦寺に入る(2015年8月2日)
左手奥にて拝観料700円を支払う

現在延暦寺は国宝の「根本中堂」ならびに重要文化財の回廊を
平成28年度から約10年を掛けて大改修すると言う事で、
すでに平成27年度は予備調査事業が行われ内部は
鉄パイプの櫓が組まれていた。

延暦寺(えんりゃくじ)
平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた
日本天台宗の本山寺院である。
住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。
平成6年(1994)には、古都京都の文化財の一部として、
(1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受け)1994年に、
古都京都の文化財としてユネスコ世界文化遺産にも登録された。
延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた
円仁、円珍、融通念仏宗の開祖良忍、浄土宗の開祖法然、
浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、
日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが
若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。
比叡山は文学作品にも数多く登場する。
また、「12年籠山行」「千日回峯行」などの厳しい修行が
現代まで続けられており、日本仏教の代表的な聖地である。
比叡山の山内は「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」
と呼ばれる3つの区域に分かれている。
これらを総称して「三塔」と言う。
まずはじめに「根本中堂」へ行った。
延暦寺根本中堂
延暦寺根本中堂(えんりゃくじこんぽんちゅうどう)は、比叡山延暦寺の総本堂である。
根本中堂は何度も火事や戦禍によって焼失している。

伝教大師最澄が788年(延暦7年)に、一乗止観院という草庵を
建てたのが始まりとされる。
本尊は最澄が一刀三礼して刻んだ薬師瑠璃光如来と伝えられており(秘仏)、
その宝前に灯明をかかげて以来最澄のともした灯火は1200年間
一度も消えることなく輝き続けているので、不滅の法灯と
呼ばれる(焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)。
南側に中庭が配置される寝殿造となっており、
その中庭に日本中の神々を勧請する竹台がある。
堂内は外陣・中陣・内陣に分かれ、本尊を安置している内陣は
中陣や外陣より3mも低い石敷きの土間となっており、
内陣は僧侶が読経・修法する場所であることから別名「修業の谷間」といわれる。
内陣の本尊・不滅の法灯と中陣の参詣者の高さが同じという
珍しい構造になっており、これを天台造又は中堂造と呼ばれ、
天台仏堂の特色を示している。
中陣の天井は「百花の図」といわれ、二百に及ぶ草花が極彩色で描かれている。
柱は76本あり、諸国の大名が寄進したことから「大名柱」と呼ばれる。
中陣中央には玉座がり、その上に昭和天皇宸筆の「伝教」と
書かれた額が掲げてある。
ウィキペディアより 堂内は撮影禁止

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