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香港2日目・「タイガーバームガーデン」へ行った後は、
九龍(カオルーン)サイドに渡った。
夫が「九龍城」へ行って見ようかと言う事で、
「九龍城」へタクシーで向かった。
私は香港にも「九龍城」というお城があるのかと思った。
しかし、お城とは程遠い物だったのだ。
九龍城砦(きゅうりゅうじょうさい)
九龍城砦(きゅうりゅうじょうさい)は、現在の香港・九龍の
九龍城地区に造られた城塞、またはその跡地に建てられていた
巨大なスラム街を指す呼称。
日本では九龍城砦を「九龍城」(きゅうりゅうじょう)と呼ぶ場合がある。
香港本土では「九龍城」は九龍城砦が存在した一帯の地域名
あるいは行政地区名の呼び名である。
香港で一般的に「九龍城砦」と呼ばれてきたが、
正式名称は「九龍寨城」(きゅうりゅうさいじょう)という。

在りし日の九龍寨城(1989年)(ウィキペディア)
これは1994年に当時のイギリス・香港政庁が行った構造物解体時に
廃棄物の中から発見された石製の大きな扁額により明確になった。
この時、同時に砦時代の大砲の砲身なども見つかっており、
貴重な文化財として九龍寨城公園内の資料館に保管されている。

九龍寨城公園。南門の跡と門の扁額(2006年)
1941年から1945年の日本軍による香港占領期間中に、
近隣の啓徳空港(旧香港国際空港、1998年に移転のため廃止)拡張工事の
材料とするため城壁が取り壊された。
1940年代の中国内戦と、1949年の中国共産党率いる
中華人民共和国の樹立により、香港政庁の力が及ばない
この場所に中国大陸からの流民がなだれ込みバラックを建設、
その後スラム街として肥大化する。
1960年代から1970年代には高層RC構造建築に建て替わるものの、
無計画な増築による複雑な建築構造と、どの国の主権も及ばずに
半ば放置された環境から「東洋のカスバ」、「東洋の魔窟」と呼ばれ、
「アジアン・カオス」の象徴的存在となっていた。
しかし1984年の英中共同声明により香港が1997年に中華人民共和国に移譲、
返還されることが確定すると1987年には香港政庁が九龍城砦を取り壊し、
住民を強制移住させる方針を発表。
1993年から1994年にかけて取り壊し工事が行われ、
その後すぐに行われた再開発後に九龍寨城公園
(Kowloon Walled City Park) が造成された。
現在、1998年の旧香港国際空港(啓徳空港)の移転などで
九龍城上空の騒々しさは無くなり、活気ある商店街を中心に
周囲は閑静な住宅街となっている。
九龍寨城公園へは観光客が時折訪れるものの、普段は周辺住民の憩う
公園となっており、太極拳やスポーツイベントなどの各種文化活動も
住民と地元役所の手により行われている様である。

九龍寨城公園(2005年)
庭園には東屋や十二支、龍といった石製の置物も設置され、
どことなく不思議な趣を感じさせる場所となっている。
公園北側の高台からは、九龍城街区の街並みが一望できる。
(ウィキペディアより)
夫は当時の香港の姿を子供たちに見せておきたかった様である。
決して一人では来ない様に言っていた。

1988年に写した一枚の写真
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九龍(カオルーン)サイドに渡った。
夫が「九龍城」へ行って見ようかと言う事で、
「九龍城」へタクシーで向かった。
私は香港にも「九龍城」というお城があるのかと思った。
しかし、お城とは程遠い物だったのだ。
九龍城砦(きゅうりゅうじょうさい)
九龍城砦(きゅうりゅうじょうさい)は、現在の香港・九龍の
九龍城地区に造られた城塞、またはその跡地に建てられていた
巨大なスラム街を指す呼称。
日本では九龍城砦を「九龍城」(きゅうりゅうじょう)と呼ぶ場合がある。
香港本土では「九龍城」は九龍城砦が存在した一帯の地域名
あるいは行政地区名の呼び名である。
香港で一般的に「九龍城砦」と呼ばれてきたが、
正式名称は「九龍寨城」(きゅうりゅうさいじょう)という。

在りし日の九龍寨城(1989年)(ウィキペディア)
これは1994年に当時のイギリス・香港政庁が行った構造物解体時に
廃棄物の中から発見された石製の大きな扁額により明確になった。
この時、同時に砦時代の大砲の砲身なども見つかっており、
貴重な文化財として九龍寨城公園内の資料館に保管されている。

九龍寨城公園。南門の跡と門の扁額(2006年)
1941年から1945年の日本軍による香港占領期間中に、
近隣の啓徳空港(旧香港国際空港、1998年に移転のため廃止)拡張工事の
材料とするため城壁が取り壊された。
1940年代の中国内戦と、1949年の中国共産党率いる
中華人民共和国の樹立により、香港政庁の力が及ばない
この場所に中国大陸からの流民がなだれ込みバラックを建設、
その後スラム街として肥大化する。
1960年代から1970年代には高層RC構造建築に建て替わるものの、
無計画な増築による複雑な建築構造と、どの国の主権も及ばずに
半ば放置された環境から「東洋のカスバ」、「東洋の魔窟」と呼ばれ、
「アジアン・カオス」の象徴的存在となっていた。
しかし1984年の英中共同声明により香港が1997年に中華人民共和国に移譲、
返還されることが確定すると1987年には香港政庁が九龍城砦を取り壊し、
住民を強制移住させる方針を発表。
1993年から1994年にかけて取り壊し工事が行われ、
その後すぐに行われた再開発後に九龍寨城公園
(Kowloon Walled City Park) が造成された。
現在、1998年の旧香港国際空港(啓徳空港)の移転などで
九龍城上空の騒々しさは無くなり、活気ある商店街を中心に
周囲は閑静な住宅街となっている。
九龍寨城公園へは観光客が時折訪れるものの、普段は周辺住民の憩う
公園となっており、太極拳やスポーツイベントなどの各種文化活動も
住民と地元役所の手により行われている様である。

九龍寨城公園(2005年)
庭園には東屋や十二支、龍といった石製の置物も設置され、
どことなく不思議な趣を感じさせる場所となっている。
公園北側の高台からは、九龍城街区の街並みが一望できる。
(ウィキペディアより)
夫は当時の香港の姿を子供たちに見せておきたかった様である。
決して一人では来ない様に言っていた。

1988年に写した一枚の写真
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