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1965年は今ではお馴染みの「ジャルパック」が発売された。
高度経済成長による外貨獲得高が伸びたため、第二次世界大戦後以降の日本人の
海外渡航制限が1964年(昭和39年)に解除された事をうけて、1965年(昭和40年)1月20日に
日本初の海外パケージツアーブランドである「ジャルパック」第一弾が日本航空に寄って
開始され、全7コースがIATA加盟代理店から一斉に発売された。(ウィキペディアより)
日本人の海外渡航自由化になったのが1964年4月1日。
この日に観光目的のパスポートの発行が開始され、1人年1回、海外持ち出し500ドルまでの
制限付きで海外への観光旅行が可能となった。
「ジャルパック」の旅行代金は、当時国家公務員の大卒初任給が約2万円であったが、
ハワイ9日間の旅行代金は378,000円。
ヨーロッパ16日間は675,000円だった。
これらを現在の物価に換算するとハワイツアーは400万円、ヨーロッパツアーは700万円に相当する。
誰もが行ける価格では無かったが、それでも1965年の出国者数は12万8,000人位となった。
特別なものだった海外旅行の参加者は、スーツにネクタイを着用して航空機に搭乗。
空港には多くの人が集まり、彼らの出発を見送った。
旅の必需品は、御守りと正露丸、漬物、せんべいなど。
海外で購入するお土産品で人気が有ったのは、日本への持ち込み制限にも
かかわらず、洋酒やタバコ、香水だったと言う。(トラベルボイス公式サイトより参照)
日本航空旅客機には「鶴丸」マークが描かれていた。

"鶴丸と社名(英語)のロゴ
鶴丸とは、日本航空(JAL)所属の旅客機に描かれている。
宮桐四郎原案、ヒサシ・タニ図による日の丸と鶴(タンチョウ)をモチーフに
ロゴのJALをあしらって作成された。日本航空のシンボルマーク
JAL Boeing727 (JA-8326) Engine Start Up
翌年の1966年7月に父が社用で2週間の世界一周視察旅行に行ったのだ。
当時の羽田空港へは家族全員で見送りに行ったのだ。
今と違って飛行機に乗り込む時はタラップになって居て、階段を上って行くので
数段上がっては振り返って手を振ってくれるので、こちらも聞こえなくても
「いってらっしゃ~~い」と大声で叫んでいたのだ。
なんとも懐かしい光景だ。
機内に入ってからは窓側で手を振って居るのが見えていたのだ。
どう言う根拠か知らないが、母は飛行機が離陸してから3分間の間に事故が起こる
確率が高いから、3分間は見届けるのだと言って、じっと飛行機を見つめていたのだ。
お土産は確か香水(フランス)・コアラのマスコット(オーストラリア)・洋酒
スカーフなどだった様に思う。
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高度経済成長による外貨獲得高が伸びたため、第二次世界大戦後以降の日本人の
海外渡航制限が1964年(昭和39年)に解除された事をうけて、1965年(昭和40年)1月20日に
日本初の海外パケージツアーブランドである「ジャルパック」第一弾が日本航空に寄って
開始され、全7コースがIATA加盟代理店から一斉に発売された。(ウィキペディアより)
日本人の海外渡航自由化になったのが1964年4月1日。
この日に観光目的のパスポートの発行が開始され、1人年1回、海外持ち出し500ドルまでの
制限付きで海外への観光旅行が可能となった。
「ジャルパック」の旅行代金は、当時国家公務員の大卒初任給が約2万円であったが、
ハワイ9日間の旅行代金は378,000円。
ヨーロッパ16日間は675,000円だった。
これらを現在の物価に換算するとハワイツアーは400万円、ヨーロッパツアーは700万円に相当する。
誰もが行ける価格では無かったが、それでも1965年の出国者数は12万8,000人位となった。
特別なものだった海外旅行の参加者は、スーツにネクタイを着用して航空機に搭乗。
空港には多くの人が集まり、彼らの出発を見送った。
旅の必需品は、御守りと正露丸、漬物、せんべいなど。
海外で購入するお土産品で人気が有ったのは、日本への持ち込み制限にも
かかわらず、洋酒やタバコ、香水だったと言う。(トラベルボイス公式サイトより参照)
日本航空旅客機には「鶴丸」マークが描かれていた。

"鶴丸と社名(英語)のロゴ
鶴丸とは、日本航空(JAL)所属の旅客機に描かれている。
宮桐四郎原案、ヒサシ・タニ図による日の丸と鶴(タンチョウ)をモチーフに
ロゴのJALをあしらって作成された。日本航空のシンボルマーク
JAL Boeing727 (JA-8326) Engine Start Up
翌年の1966年7月に父が社用で2週間の世界一周視察旅行に行ったのだ。
当時の羽田空港へは家族全員で見送りに行ったのだ。
今と違って飛行機に乗り込む時はタラップになって居て、階段を上って行くので
数段上がっては振り返って手を振ってくれるので、こちらも聞こえなくても
「いってらっしゃ~~い」と大声で叫んでいたのだ。
なんとも懐かしい光景だ。
機内に入ってからは窓側で手を振って居るのが見えていたのだ。
どう言う根拠か知らないが、母は飛行機が離陸してから3分間の間に事故が起こる
確率が高いから、3分間は見届けるのだと言って、じっと飛行機を見つめていたのだ。
お土産は確か香水(フランス)・コアラのマスコット(オーストラリア)・洋酒
スカーフなどだった様に思う。
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