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個別記事の管理2015-05-03 (Sun)
翌朝は化石の森をもう少し散策した。




化石の森④-1
至る所に化石が転がっている。(1983年)





化石の森を後にして、一路「モニュメントバレー」へ向かった。

相変わらずの一本道。




やがて景色が変わり始めた。




モニュメントバレーA-1
岩を切り開いて道がで出来ている(1983年)




モニュメントバレー②
この景色は車の中からでもワクワクして来る(1983年)





モニュメントバレー③ (2)
(1983年)




モニュメントバレーC-1
(1983年)




モニュメントバレーD-1
(1983年)


モニュメントバレーE-1
(1983年)



モニュメントバレーF-1
(1983年)




モニュメントばれーG-1
(1983年)



モニュメント・バレー

モニュメント・バレー(Monument Valley)は、アメリカ合衆国西南部の

ユタ州南部からアリゾナ州北部にかけて広がる地域一帯の名称である。



メサといわれるテーブル形の台地や、さらに浸食が進んだ

ビュートといわれる岩山が点在し、

あたかも記念碑(モニュメント)が並んでいるような景観を示していることから

この名がついた。





古くからのナバホ族居住地域で、居留地となった現在では、

その一部はナバホ族管轄のもと一般に開放する形で公開されており、

ナバホ族の聖地とも呼ばれ有名な観光地となっている。



ロッキー山脈からの鉄分を大量に含んだ川の流れは、

下流地域一帯に沈泥となって堆積し、当時の酸素濃度は

現在よりも高かったため鉄分の酸化が急速に進み茶褐色の地表となった
(ウィキペディア参照)




モニュメント・バレー豆知識

ナバホ族は紀元前2000年頃からこの地に住んでいました。

1921年にハリー・グールディング(Harry Goulding)と彼の妻が

この地にやって来て、ナバホ族より僅かのお金で土地を

分け与えてもらい、彼らとの交易を始めて暮らしを立てていきました。


1928年には、交易で貯めたお金でグールディング・ロッジと

空港(Trading Post)を作り、ナバホ族の人達との

交流関係を促進する努力をしてきました。


そして、彼らはこの地を映画のロケ地として招致し、

モニュメントバレーを世界的に有名にしたことでも知られています。


1938年に初めてジョン・フォード監督によって映画のロケに使われました。

駅馬車」に始まり「黄色いリボン

荒野の決闘」「アパッチ砦」に

代表される名画の数々がこの地で出来上がりました。
(シーニック航空ホームページより)




西部劇映画に出てくる景色がまさにここだ。

興奮と感動だった。



丁度ユタ州とアリゾナ州の州境をまたぐ事が出来たのだ。

皆で「よっしゃ~~!!」と大声をあげていた。



もう一度行って見たい所である。



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