- Admin *
- Write *
- Edit *
- All articles
1980年8月に松山から船で「音戸の瀬戸」を通り、
広島へ着いた。
広島では比治山公園へ登った。
比治山公園は原爆により50年は木が生えないと言われていたそうだが、
我々が行った時には青々とした公園になって居た。

今の比治山公園から広島市内を望む
原爆資料館
子供達には原爆の恐ろしさを少しでも知って貰おうと、
あえて資料館へ連れて行ったのだ。
広島平和記念公園

広島平和記念公園1980年8月

慰霊碑より原爆ドームを臨む(現在)

広島平和記念公園原爆の子の塔1980年8月
広島平和記念公園を後にして、新幹線で大阪に帰宅した。
子供達にとっては社会勉強になった旅行であったと思う。
ご訪問有難う御座います。
お帰りにポチッとお願いします。

にほんブログ村
広島へ着いた。
広島では比治山公園へ登った。
比治山公園は原爆により50年は木が生えないと言われていたそうだが、
我々が行った時には青々とした公園になって居た。

今の比治山公園から広島市内を望む
原爆資料館
子供達には原爆の恐ろしさを少しでも知って貰おうと、
あえて資料館へ連れて行ったのだ。
広島平和記念公園

広島平和記念公園1980年8月

慰霊碑より原爆ドームを臨む(現在)

広島平和記念公園原爆の子の塔1980年8月
広島平和記念公園を後にして、新幹線で大阪に帰宅した。
子供達にとっては社会勉強になった旅行であったと思う。
ご訪問有難う御座います。
お帰りにポチッとお願いします。

にほんブログ村
スポンサーサイト
1980年8月に松山へお墓参りに行った帰り、
松山から広島へ渡る途中に「音戸の瀬戸」
と言う日本一狭い海峡を渡るのだ。

松山から広島へ渡る船の中から撮影した「音戸の瀬戸」 1980年8月
およそ八百年前、平清盛が切り開いたと言い伝えられている
音戸の瀬戸
音戸の瀬戸(おんどのせと、旧表記:隠戸ノ瀬戸)は、広島県呉市にある
本州(警固屋)と倉橋島(音戸町)の間に存在する海峡のことである。
幅はわずか90m程度、可航幅が60mしか無く、一日の船舶の通行量は約700隻で、
最大で4ノットと潮流が早く、狭い所を広島市と松山市を結ぶ定期船など
1000トン級の船が行き交う船舶の往来が激しい海域である。
日本一短いとされる海上定期航路(音戸渡船)も就航している。
また、南端最狭部にはアーチ橋とツツジで有名な音戸大橋が、
北端には2本目の橋である第二音戸大橋がかかっている。

現在の「音戸の瀬戸」
この海峡は平安時代に日宋貿易の航路として、1167年に
平清盛が開削したといわれている。
一日で工事を完了させるために夕日を招き返したという伝説がある。
また、工事安全祈願のために人柱の代わりに一字一石の経石を
海底に沈めたともいわれる。
1951(昭和26)年には県史跡に指定された、
周囲49mの石垣に囲まれた塚の中央には、
供養のために立てられた石碑がある。

供養のために清盛塚を建立したといわれている
平清盛ゆかりの土地であることから、開削800周年を記念して、
立烏帽子直垂姿の平清盛が日没の方向に扇を向けて立つ姿の
2.7mの銅像「日招像」が
瀬戸の東側の高烏山麓「音戸の瀬戸公園」内に
1967年(昭和42年)7月に建立された。
瀬戸の東側の高烏(たかがらす)山麓にあって瀬戸全体を見渡せる
「音戸の瀬戸公園」がある。
公園内には多数のサクラとツツジが植栽され、
それぞれの開花時期には花見でにぎわう。
特にツツジは音戸大橋登坂路の両側道路用地斜面にも植えられ、
一体となって立体的な景観となる。

音戸の瀬戸公園
(ウィキペディアより)
機会があって今度ここを通る時は
つつじの季節に車で通って見たいものだ。
さぞ美しい事だろう。
ご訪問有難う御座います。
お帰りにポチッとお願いします。

にほんブログ村
松山から広島へ渡る途中に「音戸の瀬戸」
と言う日本一狭い海峡を渡るのだ。

松山から広島へ渡る船の中から撮影した「音戸の瀬戸」 1980年8月
およそ八百年前、平清盛が切り開いたと言い伝えられている
音戸の瀬戸
音戸の瀬戸(おんどのせと、旧表記:隠戸ノ瀬戸)は、広島県呉市にある
本州(警固屋)と倉橋島(音戸町)の間に存在する海峡のことである。
幅はわずか90m程度、可航幅が60mしか無く、一日の船舶の通行量は約700隻で、
最大で4ノットと潮流が早く、狭い所を広島市と松山市を結ぶ定期船など
1000トン級の船が行き交う船舶の往来が激しい海域である。
日本一短いとされる海上定期航路(音戸渡船)も就航している。
また、南端最狭部にはアーチ橋とツツジで有名な音戸大橋が、
北端には2本目の橋である第二音戸大橋がかかっている。

現在の「音戸の瀬戸」
この海峡は平安時代に日宋貿易の航路として、1167年に
平清盛が開削したといわれている。
一日で工事を完了させるために夕日を招き返したという伝説がある。
また、工事安全祈願のために人柱の代わりに一字一石の経石を
海底に沈めたともいわれる。
1951(昭和26)年には県史跡に指定された、
周囲49mの石垣に囲まれた塚の中央には、
供養のために立てられた石碑がある。

供養のために清盛塚を建立したといわれている
平清盛ゆかりの土地であることから、開削800周年を記念して、
立烏帽子直垂姿の平清盛が日没の方向に扇を向けて立つ姿の
2.7mの銅像「日招像」が
瀬戸の東側の高烏山麓「音戸の瀬戸公園」内に
1967年(昭和42年)7月に建立された。
瀬戸の東側の高烏(たかがらす)山麓にあって瀬戸全体を見渡せる
「音戸の瀬戸公園」がある。
公園内には多数のサクラとツツジが植栽され、
それぞれの開花時期には花見でにぎわう。
特にツツジは音戸大橋登坂路の両側道路用地斜面にも植えられ、
一体となって立体的な景観となる。

音戸の瀬戸公園
(ウィキペディアより)
機会があって今度ここを通る時は
つつじの季節に車で通って見たいものだ。
さぞ美しい事だろう。
ご訪問有難う御座います。
お帰りにポチッとお願いします。

にほんブログ村
二日目は道後公園にある「愛媛県立道後動物園」へ行った。
この動物園は1948(昭和23)年創立。
より良い自然環境での飼育を行なうためや施設の拡張が難しくなったため、
1988(昭和63)年、県総合運動公園内に移転し、
「愛媛県立とべ動物園」として開園。
内容ともに西日本有数の県立動物園である。

県立道後動物園1980年8月
松山城へ行った。

松山城・リフト 1980年8月


松山城

松山城天守閣より眺望 1980年8月

松山城天守閣より松山市内眺望 1980年8月
松山城を後に船で広島に渡った。

松山から広島に向かう船 1980年8月
ご訪問有難う御座います。
お帰りにポチッとお願いします。

にほんブログ村
この動物園は1948(昭和23)年創立。
より良い自然環境での飼育を行なうためや施設の拡張が難しくなったため、
1988(昭和63)年、県総合運動公園内に移転し、
「愛媛県立とべ動物園」として開園。
内容ともに西日本有数の県立動物園である。

県立道後動物園1980年8月
松山城へ行った。

松山城・リフト 1980年8月


松山城

松山城天守閣より眺望 1980年8月

松山城天守閣より松山市内眺望 1980年8月
松山城を後に船で広島に渡った。

松山から広島に向かう船 1980年8月
ご訪問有難う御座います。
お帰りにポチッとお願いします。

にほんブログ村
1980年(昭和55年)のお盆休みはちょっと遠出をする事にした。
何時も松山へお墓参りに行く時は往復船中泊のとんぼ返りだったからだ。
大阪港から夜の9時に「さんふらわあ」に乗船し船中泊だ。

別府航路・さんふらわあ
翌朝7時過ぎに松山の三津浜港に到着。
港で朝食を済ませ、お墓参りに行ったのだ。
墓参の後は、夫の育った梅津寺(ばいしんじ)へ行ったのだ。
子供たちは始めて梅津寺で泳いだのだ。

松山・梅津寺 1980年8月

松山・梅津寺 1980年8月

松山・梅津寺 1980年8月
梅津寺と言えば夫にまつわるエピソードがあるのだ。
子供の頃、母親から、「海には絶対に一人では行ってはいけない」
と言われて居たそうだ。
家から浜辺までは5分とかからない。
学校から帰ると、母親が仕事から帰るまでの間に、一人で泳ぎに行き、
母親が帰宅するまでに、自分も帰宅し素知らぬ顔をしていたと言う。
母親が帰宅後「今日は泳いでないでしょうね。」
と聞かれると「泳いでないよ」とうそぶいていたが、
母親が「それなら足の裏を見せなさい。」
と足の裏を点検するのだそうだ。
泳いだ時は足の裏が真っ白なのですぐにばれてしまい、
大目玉をくらったという話をよく聞かされたのだ。
梅津寺で泳いだ後は道後温泉のすぐそばの「郵便貯金会館」に泊まった。
郵便貯金会館 現在はメルパルク
元は「郵便貯金会館」(ゆうびんちょきんかいかん)の名称で、
国営事業であった郵便貯金に関連した施設として建設されたものである。
郵政民営化を機にメルパルクが正式名称となり、2008年9月末まで
財団法人ゆうちょ財団(旧・郵便貯金振興会)が運営を行っていた。
宿泊施設、会議室、宴会場、結婚式場、レストランなどを併設した複合施設となっており、
いわゆるシティホテルと同等の設備を備える。
メルパルク (Mielparque) は、日本郵政が土地・施設を保有し、
運営はメルパルク株式会社へ委託されているホテル等の総称である。
(ウィキペディア参照)

ホテルメグパルク松山
ご訪問有難う御座います。
お帰りにポチッとお願いします。

にほんブログ村
何時も松山へお墓参りに行く時は往復船中泊のとんぼ返りだったからだ。
大阪港から夜の9時に「さんふらわあ」に乗船し船中泊だ。

別府航路・さんふらわあ
翌朝7時過ぎに松山の三津浜港に到着。
港で朝食を済ませ、お墓参りに行ったのだ。
墓参の後は、夫の育った梅津寺(ばいしんじ)へ行ったのだ。
子供たちは始めて梅津寺で泳いだのだ。

松山・梅津寺 1980年8月

松山・梅津寺 1980年8月

松山・梅津寺 1980年8月
梅津寺と言えば夫にまつわるエピソードがあるのだ。
子供の頃、母親から、「海には絶対に一人では行ってはいけない」
と言われて居たそうだ。
家から浜辺までは5分とかからない。
学校から帰ると、母親が仕事から帰るまでの間に、一人で泳ぎに行き、
母親が帰宅するまでに、自分も帰宅し素知らぬ顔をしていたと言う。
母親が帰宅後「今日は泳いでないでしょうね。」
と聞かれると「泳いでないよ」とうそぶいていたが、
母親が「それなら足の裏を見せなさい。」
と足の裏を点検するのだそうだ。
泳いだ時は足の裏が真っ白なのですぐにばれてしまい、
大目玉をくらったという話をよく聞かされたのだ。
梅津寺で泳いだ後は道後温泉のすぐそばの「郵便貯金会館」に泊まった。
郵便貯金会館 現在はメルパルク
元は「郵便貯金会館」(ゆうびんちょきんかいかん)の名称で、
国営事業であった郵便貯金に関連した施設として建設されたものである。
郵政民営化を機にメルパルクが正式名称となり、2008年9月末まで
財団法人ゆうちょ財団(旧・郵便貯金振興会)が運営を行っていた。
宿泊施設、会議室、宴会場、結婚式場、レストランなどを併設した複合施設となっており、
いわゆるシティホテルと同等の設備を備える。
メルパルク (Mielparque) は、日本郵政が土地・施設を保有し、
運営はメルパルク株式会社へ委託されているホテル等の総称である。
(ウィキペディア参照)

ホテルメグパルク松山
ご訪問有難う御座います。
お帰りにポチッとお願いします。

にほんブログ村
潮岬を後にして、この日は白浜に宿泊した。
三日目、最終日。
南紀白浜は有名なところだ。
白良浜(しららはま)
延長640mの遠浅の浜辺になっている。
砂は石英砂で90%が珪酸である。
真っ白でサラサラの砂だ。

南紀白良浜

南紀白良浜

弧を描く浜辺に沿って並ぶパラソルが、
夏のトロピカルムードをより一層盛り上げている。
南紀白浜温泉
南紀白浜温泉(白浜温泉)は日本三古湯・三大温泉地に
数えられるお湯処である。
日本三古湯とは
有馬温泉(ありまおんせん) 兵庫県神戸市北区(旧摂津国)にある温泉
道後温泉(どうごおんせん) 四国・愛媛県松山市(旧国伊予国)にある温泉
南紀白浜温泉(なんきしらはまおんせん) 和歌山県西牟婁郡白浜町にある温泉
南紀白浜温泉は飛鳥(あすか)、奈良朝の時代から
「牟婁の湯」 「紀の温湯」の名で知られている。
1350年余りの歴史を持つ由緒ある温泉観光地である。
斉明、天智、持統、文武天皇をはじめ多くの宮人たちが
來泉されたと言われている。
湯崎七湯に数えられる崎の湯(露天風呂)、砿湯(まぶゆ)(牟婁の湯)は、
白浜温泉の最も古い歴史を残している。

南紀白浜温泉(1967年)
千畳敷
千畳敷はその名の通り広い岩畳を思わせる大岩盤だ。
瀬戸崎の先端から太平洋に向けて突き出したスロープ状になった
白く柔らかい岩は第3紀層の砂岩からなる、大岩盤で、
打ち寄せる荒波に浸食された壮大な景観を創っている。

南紀白浜・千畳敷(1967年)

南紀白浜・千畳敷(1967年)

南紀白浜・千畳敷

南紀白浜・千畳敷
三段壁
千畳敷の南海岸にそそり立つ、
高さ50mの断崖だ。
その昔、漁師たちが通りゆく船や魚の群れを見張った場所で、
「見崖」に由来すると言われる。
南北2kmに渡って展開され、岩肌に打ち寄せる黒潮が
激しくぶつかり合うダイナミックな光景には、自然の迫力が
感じられる。

南紀白浜・三段壁

南紀白浜・三段壁
円月島
円月島は白浜のシンボルとして親しまれている。
正式には「高嶋」といい、臨界浦の南海上に浮かぶ南北130m、
東西35m、高さ25mの小島であるが、
島の中央に円月形の海蝕洞がぽっかり空いていることから、
「円月島」と呼ばれ親しまれている。

南紀白浜・円月島

南紀白浜・円月島
円月に沈む夕日は「和歌山県の「夕日100選」に選ばれており、
日が沈む夕景の美しさは格別だ。
夏は6時30分頃、冬は4時30分頃だそうだ。

南紀白浜・円月島に沈む夕日
(日本風景街道 熊野 南紀白浜観光ガイド参照)
一時はどうなるかと思った南紀の旅は無事に終了した。
白浜温泉はもう一度行きたいと思っている。
ご訪問有難う御座います。
お帰りにポチッとお願いします。

にほんブログ村
三日目、最終日。
南紀白浜は有名なところだ。
白良浜(しららはま)
延長640mの遠浅の浜辺になっている。
砂は石英砂で90%が珪酸である。
真っ白でサラサラの砂だ。

南紀白良浜

南紀白良浜

弧を描く浜辺に沿って並ぶパラソルが、
夏のトロピカルムードをより一層盛り上げている。
南紀白浜温泉
南紀白浜温泉(白浜温泉)は日本三古湯・三大温泉地に
数えられるお湯処である。
日本三古湯とは
有馬温泉(ありまおんせん) 兵庫県神戸市北区(旧摂津国)にある温泉
道後温泉(どうごおんせん) 四国・愛媛県松山市(旧国伊予国)にある温泉
南紀白浜温泉(なんきしらはまおんせん) 和歌山県西牟婁郡白浜町にある温泉
南紀白浜温泉は飛鳥(あすか)、奈良朝の時代から
「牟婁の湯」 「紀の温湯」の名で知られている。
1350年余りの歴史を持つ由緒ある温泉観光地である。
斉明、天智、持統、文武天皇をはじめ多くの宮人たちが
來泉されたと言われている。
湯崎七湯に数えられる崎の湯(露天風呂)、砿湯(まぶゆ)(牟婁の湯)は、
白浜温泉の最も古い歴史を残している。

南紀白浜温泉(1967年)
千畳敷
千畳敷はその名の通り広い岩畳を思わせる大岩盤だ。
瀬戸崎の先端から太平洋に向けて突き出したスロープ状になった
白く柔らかい岩は第3紀層の砂岩からなる、大岩盤で、
打ち寄せる荒波に浸食された壮大な景観を創っている。

南紀白浜・千畳敷(1967年)

南紀白浜・千畳敷(1967年)

南紀白浜・千畳敷

南紀白浜・千畳敷
三段壁
千畳敷の南海岸にそそり立つ、
高さ50mの断崖だ。
その昔、漁師たちが通りゆく船や魚の群れを見張った場所で、
「見崖」に由来すると言われる。
南北2kmに渡って展開され、岩肌に打ち寄せる黒潮が
激しくぶつかり合うダイナミックな光景には、自然の迫力が
感じられる。

南紀白浜・三段壁

南紀白浜・三段壁
円月島
円月島は白浜のシンボルとして親しまれている。
正式には「高嶋」といい、臨界浦の南海上に浮かぶ南北130m、
東西35m、高さ25mの小島であるが、
島の中央に円月形の海蝕洞がぽっかり空いていることから、
「円月島」と呼ばれ親しまれている。

南紀白浜・円月島

南紀白浜・円月島
円月に沈む夕日は「和歌山県の「夕日100選」に選ばれており、
日が沈む夕景の美しさは格別だ。
夏は6時30分頃、冬は4時30分頃だそうだ。

南紀白浜・円月島に沈む夕日
(日本風景街道 熊野 南紀白浜観光ガイド参照)
一時はどうなるかと思った南紀の旅は無事に終了した。
白浜温泉はもう一度行きたいと思っている。
ご訪問有難う御座います。
お帰りにポチッとお願いします。

にほんブログ村
白浜 * by ぢょん・でんばあ
こんにちは。
白浜は関西在住の者にとってはとても親しみ深い観光地です。
夏は海水浴、冬は温泉、家族でも、社員旅行などでも何度も行きましたよ。
最近は、アドベンチャーランドのパンダの赤ちゃんが何といっても見どころです。
東京の友だちは、パンダを見に飛行機で飛んで来るそうです(意外に知られていませんが、白浜には飛行場があって、東京から直行便があるんです)
白浜は関西在住の者にとってはとても親しみ深い観光地です。
夏は海水浴、冬は温泉、家族でも、社員旅行などでも何度も行きましたよ。
最近は、アドベンチャーランドのパンダの赤ちゃんが何といっても見どころです。
東京の友だちは、パンダを見に飛行機で飛んで来るそうです(意外に知られていませんが、白浜には飛行場があって、東京から直行便があるんです)
Re: 白浜 * by アカタイル
> こんにちは。
>
> 白浜は関西在住の者にとってはとても親しみ深い観光地です。
>
> 夏は海水浴、冬は温泉、家族でも、社員旅行などでも何度も行きましたよ。
>
> 最近は、アドベンチャーランドのパンダの赤ちゃんが何といっても見どころです。
>
> 東京の友だちは、パンダを見に飛行機で飛んで来るそうです(意外に知られていませんが、白浜には飛行場があって、東京から直行便があるんです)
コメントを有難う御座いました。
白浜はホントにいい所ですよね。
空港が出来たのはつい最近まで知りませんでした。
大阪からは近いですので、是非また行きたいと思っています。
>
> 白浜は関西在住の者にとってはとても親しみ深い観光地です。
>
> 夏は海水浴、冬は温泉、家族でも、社員旅行などでも何度も行きましたよ。
>
> 最近は、アドベンチャーランドのパンダの赤ちゃんが何といっても見どころです。
>
> 東京の友だちは、パンダを見に飛行機で飛んで来るそうです(意外に知られていませんが、白浜には飛行場があって、東京から直行便があるんです)
コメントを有難う御座いました。
白浜はホントにいい所ですよね。
空港が出来たのはつい最近まで知りませんでした。
大阪からは近いですので、是非また行きたいと思っています。