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個別記事の管理2016-05-14 (Sat)
香港・中国への返還に先駆けて!

1997年7月1日に中国に返還されることになった香港のセレモニー会場である

コンベンション&エキシビジョンセンター(=HKCEC 香港会議展覧中心)について。


香港コンベンション&エキシビジョンセンター(HKCEC香港會議展覧中心)

ビクトリア湾にせり出した流線型がつらなる近代的な建物です。

1988年にオープンしたビルに、さらに48億ドル(6億2千万米ドル)を投入。

香港返還式典のためにニューウイング部分を新設し、現在のような形になりました。

5つの展示ホール、2つの会議ホール、2つのワールドクラスの劇場、52の会議場

などを有し、複合タイプの会議展覧施設としてはアジアで2番目の規模を誇っています。

国際貿易港の香港らしく、1年じゅう展示会や見本市など何かしらのイベントが

途切れなく行われています。

青と白を基調としたシンプルで清潔感ある配色の内部は、ゆったりとした幅の通路や

高い吹き抜けでとても開放感のある作りになっています。稼働率の高い

エスカレーターで移動もスムースです。


第一期は旧翼と呼ばれ1988年11月に完成した、地上51階建て、高さ181mの

超高層ビルである。

下層にコンベンション施設、上層にホテル(グランドハイアット香港とルネッサンス

ハーバービュー香港)を有する。

それに付随してコンドミニアムやレストランなどが設置され、中層部にプールや

テニスコートを併設した中庭がある。

また低層部には香港の技術と産物を紹介するコーナーがある。

隣接するセントラルプラザ(中環廣場:Central Plaza)を経てMTR灣仔駅へ、

また君鷹中心(Great Eagle Centre)や海港中心(Harbour Centre)を経て

灣仔埠頭(灣仔渡輪碼頭:Wanchai Ferry Pier)へ、ペデストリアンデッキを使って

それぞれ向かうことができる。


第二期は新翼と呼ばれ、1994年から1997年にかけて建設された。

ヴィクトリア湾に突き出る灣仔地区の最突端に位置し、2.6ヘクタールを埋め立てて

建設された。

第一期棟とは空中回廊で結ばれている。

1997年7月1日に行われた香港返還の式典はこの場所で行われた。

現在では各種フェアや、イベント、国際会議などが頻繁に行われている。

建物の全ては展示及び会議施設に使われるホールで、その他レストランなどが

併設されている。

また建物の先端には香港の域花で、中華人民共和国政府から香港特別行政区に

贈られた金色のバウヒニア(金紫荊)像が設置されている。

この場所は金紫荊広場と呼ばれ、本土観光客の観光スポットとなっている。


第三期は2003年より第三期棟の建設が計画されている。

建設が予定された場合、2015年の完成を目指している。

(香港ナビ ウィキペディア引用)




香港・1994年5月 (2)
1994年5月 海の中は何もない状態 (マンションから写す)



香港・ワンチャイ埋め立て中(1994年10月) -1ーA
1994年10月 海の中に砂が運ばれて白っぽくなっている状態 (マンションから写す)



香港 1995年8月-1
1995年8月 かなり工事が進んできている (マンションから写す)



香港 返還(1997年6月28日」)-1
1997年6月28日 完成 (マンションから写す)



香港 邊混(1997年6月28日)⑲-1
1997年6月28日 左側から写す



香港 返還(1997年6月28日)⑫-1
1997年6月28日 (カオルーンサイドより写す)


香港を訪問する度にコンベンションの工事の様子が変わってきているのを見るのが

とても楽しみでした。



下の画像は現在のものでお借りしました。

香港 コンベンション&エキディビジョンセンターA
(画像はお借りしました)




香港 コンベンション&エキディビジョンセンターJ
金色のバウヒニア(金紫荊)像  (画像はお借りしました)




香港 コンベンション&エキディビジョンセンター④
(画像はお借りしました)




香港 コンベンション&エキディビジョンセンターE
(画像はお借りしました)




香港 コンベンション&エキディビジョンセンターI
(画像はお借りしました)



このコンベンション&エキシビジョンセンターはとってもきれいで、正面はガラス張りなので

ビクトリア湾が一望出来て素晴らしいところです。

香港を訪問されたときは是非立ち寄ってみてくださいね。




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個別記事の管理2016-05-02 (Mon)
香港の中国返還が近付いてきた1996年秋の事、マンションの窓から見える景色で

いつも気になっていた場所が有ったのだ。

その場所は「ヨットハーバー」と「ヌーン・デイ・ガン」なのだ。

マンションの上から見ると近いが、いざ歩いてみるとかなり遠い。



ヨットハーバー( 銅鑼湾/コーズウェイベイ)

ヨットハーバーには香港遊艇會 (ロイヤル ヨット クラブ)があり、年に何回か

ヨットレースが行われる。

その時はビクトリアハーバーが白一色となりとても綺麗だ。

実際に行って見ると、ヨットハーバーは海岸に立ってただ見るだけだった。


香港・返還前のコーズウエイベイ②-1
ヨットハーバーに行く途中で一番海に近い道路から見た
銅鑼湾(コーズウェイベイ)(1996年11月)



香港・返還前のコーズウエイベイ①(1996年11月8日)-1
海側から見た 銅鑼湾(コーズウェイベイ)(1996年11月)



香港・返還前のコーズウエイベイ④-1
ヨットハーバー(1996年11月)


ヨットハーバー香港 
近年のヨットハーバー(画像はお借りしました)



香港 ヨットハーバー(ロイヤルヨットクラブ)
近年のヨットハーバー(画像はお借りしました)



ヌーン・デイ・ガン(Noon Day Gun怡和午砲)

「ヌーン・デイ・ガン」は帰国までには絶対行って見たかったのだ。

その名前の通り毎日正午に鳴らされるという伝統の大砲儀式、

怡和午砲(ヌーン・デイ・ガン)だ。

現在では英国植民地時代初期の唯一の遺物であり、世界史の授業にも出てきた、

あのジャーディン・マセソン社(怡和行)が行っている儀式、ということで、香港の歴史の

一面を象徴する儀式としても一見の価値がある。

150年以上も続けられているという英国統治時代の風習を継続する由緒正しきイベントだ。


その伝統は、東角に主要な倉庫と事務所を置いていたジャーディン・マセソンが、

航海によって到着した大物を歓迎するための礼砲を私設軍に撃たせていた、

1860年代のある事件に起源を持つと考えられる。

イギリス海軍は、そのような礼は、政府高官と軍の上級将校のためのみに保留されるべき

だと考えた。

贖罪として、ジャーディン・マセソンは、時報の役を果たすため、それ以来、正午に

大砲を撃つことを要求された。

1941年、日本陸軍が香港を占領し、砲を除去した。

再びイギリス領となった1945年、イギリス海軍が他の大砲をジャーディン・マセソンに与え、

その結果ヌーンデイ・ガンの伝統を継続することができた。

1947年7月1日、ヌーンデイ・ガンは再開された。

現在の大砲は、第一次世界大戦のユトランド沖海戦で実戦に使用された

ホッチキス3ポンド砲である。

(ウィキペディア引用)


1997年にイギリスの香港支配は終ったが、ヌーンデイ・ガンの伝統は

ジャーディン・マセソンによって永続的に維持されている。

この毎日の行事のために、たいてい小さな人だかりができる。

正午を除くと、他には大晦日の真夜中にのみ、この大砲は火を噴く。


香港・返還前のコーズウエイベイ⑥-1
「ヌーン・デイ・ガン」 (1996年11月)


香港・返還前のコーズウエイベイ⑦-1
一般のお客さんが打つところを観光客がカメラ構えて撮ろうとしている
(1996年11月)



今の「ヌーン・デイ・ガン」の様子


香港 ヌーン・デイ・ガン(E)



香港 ヌーン・デイ・ガン②
係官が時計を何度となくチェックしています。きっちり正午に鳴らすためです。



香港 ヌーン・デイ・ガン③
鐘を鳴らした後、砲台に向かいます。そして、砲をセットします。



香港 ヌーン・デイ・ガン⑥
時計を確認後、いよいよ大砲発射です!
煙とともに、耳をつんざく大音量が周囲に響き渡ります!



香港 ヌーン・デイ・ガン⑦
発射終了後、ふたたび鐘を鳴らして儀式は終了。

(現在の画像はお借りしました)



この怡和午砲は現在ではチャリティ目的としても行われており、個人なら最低HK$28000、

団体なら最低HK$38000を「マインドセット」というジャーディン傘下の慈善団体に寄付

すれば個人・団体を問わず誰でも撃てるそうです。

そして記念品として薬きょうのレプリカがもらえるそうです。

さらに、特別料金でレセプションを砲台のある場所で催すことができるそうですよ!

機会があれば、一度はチャレンジしてみたいですね!




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個別記事の管理2016-04-29 (Fri)
香港への11回目の訪問は1997年5月だ。

この年は香港が中国に返還されるという事で新しい歴史を

見る事が出来るのではないかと楽しみにしていた。


10回目の訪問の時にお友達になった彼女に連絡を取り、色々と教えて貰いながら

観光を楽しんだのだ。


彼女・アイちゃんはご主人と一緒に香港にず~~~と滞在されて居られるのだ。

私の様に行ったり来たりではないので、広東語を習われていて、通訳をして下さるので

非常に助かったのだ。


ある時は朝の10時頃に銅鑼湾(コーズウェイベイ)で待ち合わせ、ショッピングを

楽しんだ後はランチタイムにお粥のお店入った。

このようなお店は一人では入れないので、とっても嬉しかった。

専門店のお粥はとても美味しかった。


②香港 お粥専門店-1
画像はお借りしました



①香港 お粥専門店
画像はお借りしました。



今までは一人だったので、家で早めにお昼ご飯を済ませ、ショッピングなり、買い物に

出かけていた。

夕方4時ごろまでに帰宅するまで、一切何も飲まず、食べず、黙々と歩いていたのだ。


アイちゃんとお出掛けした日の帰宅後は、夫に今日はここに行って来たと報告するのが

楽しくてしょうがなかった。

次は何処へ行こうかと思いを巡らせるのも楽しかった。



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個別記事の管理2016-04-07 (Thu)
1995年9月に香港の周辺諸島である「南Y島」へ行った。

香港 南丫島(ラマ島)

香港島の南に浮かぶ島、ラマ島(南丫島・Lamma Island)をご紹介します。

歩きやすい靴に履き替えて出発!!


南丫島(ラマ/ランマ/ラムアとう。なんあとう 英語 Lamma Island)は

香港の離島区に属する島のひとつ。

面積13.5平方kmでランタオ島、香港島に次いで3番目に大きな島。

香港の中でいちばん最初に人間が定住し始めたのは、この島だと言われています。


香港 南Y島
香港 南Y島


南丫島の「丫」はラテン文字の「Y」とよく間違われ、「南Y島」と表記されることも

あるが漢字である。

俳優のチョウ・ユンファはこの島の出身である。


人口約1万人。

人口のほとんどが北部の榕樹灣(ユンシュー湾)周辺に住んでいる。

香港島の西南に位置し、中環(セントラル)から高速船で20分ほど(通常のフェリーで35分)で

榕樹湾(ユンシュー湾)または、索罟湾(ソックーワン)に到着できる。

香港島をぐるりと半周、景色をみている間に着いてしまいます。

また、香港島南部のアバディーンから北角村経由榕樹湾行き、模達湾経由索罟湾行きの

フェリーもあり、距離は近いが30分程度かかる。


香港随一の透明度の海水浴場があり、貸しロッジに泊って観光に来る若者が多い。

都会の喧騒を嫌ってこの島に住み、フェリーで香港まで通勤している人も多い。

日帰りで行ける人気のリゾート地。


ラマ島は、車の乗り入れが禁止されている島なのです。


島の南北を横断して1時間程度のちょっとしたハイキングをするのが南丫島だ。


香港 ラマ島(1995年9月)③-1
 ラマ島(1995年9月)



香港 ラマ島(1995年9月)②-1
ラマ島(1995年9月)




中環からフェリーで島を訪れる場合、入り口は二つ。

榕樹灣(ユンシュー湾)と索罟灣(ソックーワン)。

このどちらかから上陸し、反対側までハイキングをし、行き着いたフェリー乗り場から

市街へと帰っていく、というのが一般的なこの島の楽しみ方。


ラマ島の魅力は、索罟灣(ソックーワン)側の海辺のバルコニーに並んだ

海鮮料理レストランだ。



香港 ラマ島索罟灣
ラマ島索罟灣(画像はお借りしました)



香港 ラマ島(1995年9月)①-1
ラマ島(1995年9月)



生簀から選んだすきな海鮮を思い思いに調理してもらえる。

夕方のフェリーで行って夕食だけでも十分楽しめる。



香港 ラマ島 
 ラマ島(現在)(画像はお借りしました)



海の安全を守るカラフルな天后廟

海に囲まれた香港には、70以上の天后廟が各地に点在しています。



香港 ラマ島(1995年9月)④-1
ラマ島(1995年9月)天后廟



香港 ラマ島 天后廟(現在)①
ラマ島 天后廟(現在)(HONGKONG NAVIより)



航海、漁業の守護神である天后(媽祖)を祀ったものが天后廟です。


香港 ラマ島 天后廟②
ラマ島 天后廟(現在)(HONGKONG NAVIより)


ラマ島にも大小さまざまな天后廟が4つもある。



香港 ラマ島 天后廟③
ラマ島 天后廟(現在)(HONGKONG NAVIより)





香港 ラマ島 3本煙突の発電所
ラマ島 3本煙突の発電所(画像はお借りしました)



香港を訪れた時には是非足を延ばして行って見て下さいね。



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個別記事の管理2016-03-29 (Tue)
中国 桂林(2)

桂林の漓江下りはとても暑かったが、めったに見ることができない水墨画の世界を

見ることができて満足だった。


中国 桂林楊提⑫-1-A
桂林楊提(1995年)



3日目

ホテルで朝食バイキングを済ませ、近隣の観光に出かけた。

パンダが見られるという事で「七星公園」に行った。


七星公園(しちせいこうえん)

七星公園は桂林市内中心から近くて、4つの峰をもつ普陀山と3つの峰がある月牙山、

合計7つの峰の並び方が北斗七星に似ているので名づけられたのだそうだ。

園内の七星岩、竜隠洞、月牙岩、曽公岩、駱駝山などが有名だ。

駱駝山は七星公園の代表的な山で、座っているラクダに良く似た形をしている。



中国 桂林七星公園⑰-1
中国 桂林七星公園(1995年)



パンダ宿舎の中には何頭もパンダが動いているのが見えるのだが、いざ写真を撮ってみると、

ガラス戸のガラスが反射してパンダは撮れなかった。残念!


中国 桂林パンダ基地⑯-1
桂林パンダ基地(1995年)


昼食は近くのレストランで中華料理を頂いた。

ここは中国なので中華料理は当たり前だ~~。

香港とは味が少し違っているように感じたが、大人数で色々な種類が食べられて

美味しかった。


中国 桂林⑮-1
桂林 レストラン(1995年)


象鼻山(Elephant Hill)で暫く休憩し、どこかのビルの屋上から桂林が一望できる

という事でビルの屋上へ行ってみた。



中国 桂林⑳-1-A
桂林(1995年)



桂林というと閑静な田舎かと思っていたが、かなり開けていた。

遠くにかすむ山々はなかなか見る事の出来ない絶景だった。



象鼻山(ぞうびざん)

象鼻山は桂林の桃花江と漓江の合流点に位置し、

象が漓江に鼻を入れて水を飲んでいるように見えることから名づけられた桂林の象徴。



中国 桂林象鼻山⑲-1
桂林象鼻山(1995年)



その日の夕方、桂林の空港から飛行機で香港に帰ってきた。

桂林の空港では滑走路に立つと霞んだ山並みが何とも言えない光景だった。


桂林 空港①-1
桂林の空港


桂林 空港③-1
桂林の空港(1995年)


桂林 空港④-1
桂林の空港(1995年)



僅か3日間であったが思い出に残る旅行だった。

もし、チャンスがあるなら雨季の桂林に行ってみたい。

もっと幻想的な光景に巡りあえるかもしれないから・・・。



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