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12月のある日、父の転勤が決まったのだ。
場所は東京だ。
年が開ければ、私は高校受験だったので大変困ったのだ。
公立高校の受験資格は、12月中に東京都に在籍している事が条件だった。
とりあえず、父が単身赴任で様子を見る事にしたのだ。
12月中には家は見つからなかったのだ。
1月になってから、私学に決めざるを得なかった。
遠い親戚のおばさんが私学を卒業したと言う事で話を聞きに行った。
その学校なら姉と二人の受験を承諾して貰えそうだったので、願書を出したのだ。
初めての東京行きであった。
当時の交通手段は「寝台特急瀬戸」を利用したと思う。
入学試験の時は、父が仮住まいにして居た、出張者の為の会社の寮に泊まる事にしたのだ。
3月の初めだったと思うが、無事姉と二人、受験に合格し、入学手続きをして田舎へ
帰って来たのだ。
卒業式も済んだのに、一向に住まいが決まらない。
とりあえず、入学式に間に合うように上京し、父と一緒に出張者の為の寮に厄介になることになったのだ。

寝台特急「瀬戸」 熱海~湯河原間(昭和54年撮影) (インターネットより引用)

寝台

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場所は東京だ。
年が開ければ、私は高校受験だったので大変困ったのだ。
公立高校の受験資格は、12月中に東京都に在籍している事が条件だった。
とりあえず、父が単身赴任で様子を見る事にしたのだ。
12月中には家は見つからなかったのだ。
1月になってから、私学に決めざるを得なかった。
遠い親戚のおばさんが私学を卒業したと言う事で話を聞きに行った。
その学校なら姉と二人の受験を承諾して貰えそうだったので、願書を出したのだ。
初めての東京行きであった。
当時の交通手段は「寝台特急瀬戸」を利用したと思う。
入学試験の時は、父が仮住まいにして居た、出張者の為の会社の寮に泊まる事にしたのだ。
3月の初めだったと思うが、無事姉と二人、受験に合格し、入学手続きをして田舎へ
帰って来たのだ。
卒業式も済んだのに、一向に住まいが決まらない。
とりあえず、入学式に間に合うように上京し、父と一緒に出張者の為の寮に厄介になることになったのだ。

寝台特急「瀬戸」 熱海~湯河原間(昭和54年撮影) (インターネットより引用)

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NoTitle * by ひ~ちゃん
へえ~・・・大変な時に転校と進学だったんですねえ・・・
Re: NoTitle * by アカタイル
> へえ~・・・大変な時に転校と進学だったんですねえ・・・
コメント有難う御座いました。
思わぬ出来事で大変でした。
コメント有難う御座いました。
思わぬ出来事で大変でした。
私の中学校時代は、遊ぶ事と、ヴァイオリを弾く事以外の楽しみといえば、
ラジオを聞く事と映画を観る事だった。
ラジオと言えば昭和27年(1952年)、NHKラジオドラマ「君の名は」が物凄い人気番組で
放送が始まるその時間は、銭湯の女湯が空になると言われたのだ。
私は小さかったので聞いてはいなかったが、祖母がラジオにしがみついて聞いていたのだ。
その当時のラジオは天候によっては音波にむらが有り、音声が大きくなったり小さくなったりしていたのだ。
私も歌謡曲を聞く時には、出来るだけラジオに近づいて聞いていたのだ。
中学校1年の時には子供向け番組で、新諸国物語「笛吹き童子」が始まり、
主題歌の「ヒャラ~リヒャラリコ ヒャリ~コヒャラレロ」と音楽が流れて来ると、
ラジオに吸い寄せられるようにして聞いていたのだ。
この歳にテレビの本放送が始まったのだ。
とても高価で一般家庭では手が出ず、高級喫茶店か、レストランか、
街頭テレビを見るしか無かったのだ。
日本映画では佐田啓二・岸恵子主演「君の名は」が映画化され、話題を呼んでいたのだ。
映画の中の主人公・氏家真知子が首に巻いていたマフラーが「真知子巻き」として、
ファッションになって居たのだ。


外国映画では「禁じられた遊び」「シェーン」が放映されたのだ。
どちらも観たが、「シェーン」のアラン・ラッドがステキで、足の長さに惚れたのだった。
ラストシーンの男の子の「シェーン カムバ~ック」に泣けたのだ。
中学校2年生では
ラジオドラマ・新諸国物語「紅孔雀」が始まったのだ。
「やん坊・にん坊・とん坊」が始まった。黒柳哲子の声が好きだった。
日本映画では「二十四の瞳」 学校の授業で観に行ったのだ。
「七人の侍」・ 「ゴジラ」はゴジラの特撮に肝を冷やしたのだ。
外国映画では「ローマの休日」 これは何と言ってもオードリー・ヘップバーンだ。
ヘップバーンカット(髪型)が大流行したのだ。
グレゴリー・ペックの 男前も良かった。
「ローマの休日」 主演のオードリー・ヘップバーン(インターネットより)

「ローマの休日」
「グレンミラー物語」・「ダンボ」 耳の大きいダンボがかわいかった。
「麗しのサブリナ」 サブリナパンツが流行ったのだ。
「裸足の伯爵夫人」 エヴァ・ガードナーの怪しげな夫人役が良かった。
中学校3年では「野菊の如き君なりき」・「浮雲」・「夫婦善哉」が上映。 これらは大人向けだったので観てはいない。
外国映画は「エデンの東」

「エデンの東」 主演のジェームス・ディーン(ウキペディアより)
この頃は「三種の神器」と言われ、「電気冷蔵庫」「電気洗濯機」「テレビジョン」が
主婦の憧れであった。
我が家にはそのどれも無く、有ったのは氷の冷蔵庫と鉄で出来た扇風機だった。

昭和30年我が家に有った扇風機とラジオ
プロレスのテレビ中継が始まったのだ。
父と一緒に街頭テレビを見に行って興奮したのだ。
この様に思いだして見ると面白い。
カウントが2000を超えました。
皆様に読んで頂いて感謝です。
これからも宜しくお願い致します。
有難う御座いました。
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ラジオを聞く事と映画を観る事だった。
ラジオと言えば昭和27年(1952年)、NHKラジオドラマ「君の名は」が物凄い人気番組で
放送が始まるその時間は、銭湯の女湯が空になると言われたのだ。
私は小さかったので聞いてはいなかったが、祖母がラジオにしがみついて聞いていたのだ。
その当時のラジオは天候によっては音波にむらが有り、音声が大きくなったり小さくなったりしていたのだ。
私も歌謡曲を聞く時には、出来るだけラジオに近づいて聞いていたのだ。
中学校1年の時には子供向け番組で、新諸国物語「笛吹き童子」が始まり、
主題歌の「ヒャラ~リヒャラリコ ヒャリ~コヒャラレロ」と音楽が流れて来ると、
ラジオに吸い寄せられるようにして聞いていたのだ。
この歳にテレビの本放送が始まったのだ。
とても高価で一般家庭では手が出ず、高級喫茶店か、レストランか、
街頭テレビを見るしか無かったのだ。
日本映画では佐田啓二・岸恵子主演「君の名は」が映画化され、話題を呼んでいたのだ。
映画の中の主人公・氏家真知子が首に巻いていたマフラーが「真知子巻き」として、
ファッションになって居たのだ。


外国映画では「禁じられた遊び」「シェーン」が放映されたのだ。
どちらも観たが、「シェーン」のアラン・ラッドがステキで、足の長さに惚れたのだった。
ラストシーンの男の子の「シェーン カムバ~ック」に泣けたのだ。
中学校2年生では
ラジオドラマ・新諸国物語「紅孔雀」が始まったのだ。
「やん坊・にん坊・とん坊」が始まった。黒柳哲子の声が好きだった。
日本映画では「二十四の瞳」 学校の授業で観に行ったのだ。
「七人の侍」・ 「ゴジラ」はゴジラの特撮に肝を冷やしたのだ。
外国映画では「ローマの休日」 これは何と言ってもオードリー・ヘップバーンだ。
ヘップバーンカット(髪型)が大流行したのだ。
グレゴリー・ペックの 男前も良かった。

「ローマの休日」 主演のオードリー・ヘップバーン(インターネットより)

「ローマの休日」
「グレンミラー物語」・「ダンボ」 耳の大きいダンボがかわいかった。
「麗しのサブリナ」 サブリナパンツが流行ったのだ。
「裸足の伯爵夫人」 エヴァ・ガードナーの怪しげな夫人役が良かった。
中学校3年では「野菊の如き君なりき」・「浮雲」・「夫婦善哉」が上映。 これらは大人向けだったので観てはいない。
外国映画は「エデンの東」

「エデンの東」 主演のジェームス・ディーン(ウキペディアより)
この頃は「三種の神器」と言われ、「電気冷蔵庫」「電気洗濯機」「テレビジョン」が
主婦の憧れであった。
我が家にはそのどれも無く、有ったのは氷の冷蔵庫と鉄で出来た扇風機だった。

昭和30年我が家に有った扇風機とラジオ
プロレスのテレビ中継が始まったのだ。
父と一緒に街頭テレビを見に行って興奮したのだ。
この様に思いだして見ると面白い。
カウントが2000を超えました。
皆様に読んで頂いて感謝です。
これからも宜しくお願い致します。
有難う御座いました。
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NoTitle * by koyomi
2000人越え おめでとうございます!!
いつも楽しく読ましていただいてます。
記憶が鮮明で すごいです。
これからも頑張って下さい♡
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記憶が鮮明で すごいです。
これからも頑張って下さい♡
記憶力抜群ですね、 * by umi925
こんにちは、
年齢が数年お若いようですね、記憶力抜群です、それとも日記をお持ちでしょうか?、中学時代箱の中に映画と電話が入ってるようなものがアメリカでとの話題 高校生でテレビが・・・、
お訊ねの仕事は半世紀近くも昔娘達の幼稚園の先生方へのアートフラワーの教室がアトリエを以後デパート他デスプレイ 米軍基地内での洋裁教室 九州からの舅・姑同居後独逸で会社を設立主にプレタポルテのデザインを
日本と独逸の往復生活に終止符後介護の日々を経ての
現在 東京産まれで小学低学年での父を除いての疎開
結婚迄の学生生活は東京五十年前に横浜へ現在房総半島の田圃の中での生活を満喫中です。
年齢が数年お若いようですね、記憶力抜群です、それとも日記をお持ちでしょうか?、中学時代箱の中に映画と電話が入ってるようなものがアメリカでとの話題 高校生でテレビが・・・、
お訊ねの仕事は半世紀近くも昔娘達の幼稚園の先生方へのアートフラワーの教室がアトリエを以後デパート他デスプレイ 米軍基地内での洋裁教室 九州からの舅・姑同居後独逸で会社を設立主にプレタポルテのデザインを
日本と独逸の往復生活に終止符後介護の日々を経ての
現在 東京産まれで小学低学年での父を除いての疎開
結婚迄の学生生活は東京五十年前に横浜へ現在房総半島の田圃の中での生活を満喫中です。
Re: 記憶力抜群ですね、 * by アカタイル
> こんにちは、
> 年齢が数年お若いようですね、記憶力抜群です、それとも日記をお持ちでしょうか?、中学時代箱の中に映画と電話が入ってるようなものがアメリカでとの話題 高校生でテレビが・・・、
> お訊ねの仕事は半世紀近くも昔娘達の幼稚園の先生方へのアートフラワーの教室がアトリエを以後デパート他デスプレイ 米軍基地内での洋裁教室 九州からの舅・姑同居後独逸で会社を設立主にプレタポルテのデザインを
> 日本と独逸の往復生活に終止符後介護の日々を経ての
> 現在 東京産まれで小学低学年での父を除いての疎開
> 結婚迄の学生生活は東京五十年前に横浜へ現在房総半島の田圃の中での生活を満喫中です。
コメント有難う御座いました。
日記を付けている訳ではありません。
書き始めますと、次々と思いだされて来ますので、思いつくままに書いて居ります。
貴方様もあちらこちらとお忙しい生活だったのですね。
今はお幸せそうで何よりです。
> 年齢が数年お若いようですね、記憶力抜群です、それとも日記をお持ちでしょうか?、中学時代箱の中に映画と電話が入ってるようなものがアメリカでとの話題 高校生でテレビが・・・、
> お訊ねの仕事は半世紀近くも昔娘達の幼稚園の先生方へのアートフラワーの教室がアトリエを以後デパート他デスプレイ 米軍基地内での洋裁教室 九州からの舅・姑同居後独逸で会社を設立主にプレタポルテのデザインを
> 日本と独逸の往復生活に終止符後介護の日々を経ての
> 現在 東京産まれで小学低学年での父を除いての疎開
> 結婚迄の学生生活は東京五十年前に横浜へ現在房総半島の田圃の中での生活を満喫中です。
コメント有難う御座いました。
日記を付けている訳ではありません。
書き始めますと、次々と思いだされて来ますので、思いつくままに書いて居ります。
貴方様もあちらこちらとお忙しい生活だったのですね。
今はお幸せそうで何よりです。
田舎では春になると田圃の土手に土筆(つくし)が顔を出す。
初めは緑色の固い頭だ。
この時に摘むととても苦くて食べられないのだ。
暫くすると茎が伸びて頭が開いて茶色っぽくなる。
その頃に駕籠を持って摘みに行くのだ。
駕籠一杯摘んで持って帰ると、一仕事待っている。
丁寧に頭の中に残っている胞子を全部綺麗に落とすのだ。
それをしないと苦くて食べられないのだ。
袴も一本一本取らないといけないので時間が掛かるのだ。
茹でてお浸し、酢の物、卵とじ、天麩羅等色々。
とても美味しいのだ。
「土筆誰の子スギナの子」と言われているが、
土筆とスギナは本当に親子なのだ。
土筆が枯れ始める頃に同じ所に生えてくるのがスギナなのだ。
全く違う植物に見える土筆とスギナは地下でしっかり繋がっているのだ。
スギナに花は無い。その花の様な役目をしているのが土筆なのだ。
土筆の頭の中には緑色の粉が入っており、胞子と呼ばれ成長すると
胞子が飛び出して地面に落ちる。
地面に落ちた胞子から芽が出て「前葉体」と言う小さな苔の様な植物になる。
この前葉体から生まれた子供がスギナとして育つと言う。
スギナは薬効があるらしい。
解熱・利尿作用・潰瘍・ガン予防・高血圧の予防・抜け毛予防・老化防止等。
乾燥してお茶にするのが一般的らしいのだ。
しかし、近年空気汚染(「pm2.5や黄砂など)が騒がれているので、出来れば
有機栽培のスギナ茶を手に入れた方がよさそうだ。

土筆(土筆)

スギナと土筆
家から5~6分歩くと山に差し掛かるのだ。
ワラビやゼンマイも良く取りに行ったのだ。
ワラビは葉の開いてない物を選ぶのだ。
葉が開いてしまうと固くなって軸が手で折れなくなる。
ゼンマイもしっかり巻いている物を探す。
それらも摘んで帰ってからが手が掛かるのだ
まず、洗ったらお湯を沸かし、わらを燃やした灰を入れる。
その中にワラビやゼンマイを入れて茹でる。
そのお湯につけたまま一晩置いて灰汁抜きをするのだ。
それから甘辛く炊くのである。
何代、7人家族なのでかなりの量が必要になるのだ。
遊びの一環でもあり、お手伝いの一環でもあり、楽しみながら
取りに行っていたものだ。

ワラビ
ワラビにはワラビ中毒と言われ、発癌物質であるプタキロサイドが含まれいる。
灰汁抜きをすればプタキロサイドは殆んど分解され、ジェノンと言う物質になる。
調理した物であっても、大量に食べると全身が大量出血症状になり、
骨髄が次第に破壊され死に至る。
しかし副食として食べている程度なら害はない。(ウキペディアより引用)

ゼンマイ
ゼンマイには豊富な不溶性食物繊維が沢山ふくまれている。
不溶性食物繊維は、胃や腸の中で水分を吸収して膨らみ、腸の働きを活発にさせ、
身体の有害な物質を吸着する性質が有ると言われているのだ。
その後、この様なのどかな所での生活は、思い出になってしまうのである。
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初めは緑色の固い頭だ。
この時に摘むととても苦くて食べられないのだ。
暫くすると茎が伸びて頭が開いて茶色っぽくなる。
その頃に駕籠を持って摘みに行くのだ。
駕籠一杯摘んで持って帰ると、一仕事待っている。
丁寧に頭の中に残っている胞子を全部綺麗に落とすのだ。
それをしないと苦くて食べられないのだ。
袴も一本一本取らないといけないので時間が掛かるのだ。
茹でてお浸し、酢の物、卵とじ、天麩羅等色々。
とても美味しいのだ。
「土筆誰の子スギナの子」と言われているが、
土筆とスギナは本当に親子なのだ。
土筆が枯れ始める頃に同じ所に生えてくるのがスギナなのだ。
全く違う植物に見える土筆とスギナは地下でしっかり繋がっているのだ。
スギナに花は無い。その花の様な役目をしているのが土筆なのだ。
土筆の頭の中には緑色の粉が入っており、胞子と呼ばれ成長すると
胞子が飛び出して地面に落ちる。
地面に落ちた胞子から芽が出て「前葉体」と言う小さな苔の様な植物になる。
この前葉体から生まれた子供がスギナとして育つと言う。
スギナは薬効があるらしい。
解熱・利尿作用・潰瘍・ガン予防・高血圧の予防・抜け毛予防・老化防止等。
乾燥してお茶にするのが一般的らしいのだ。
しかし、近年空気汚染(「pm2.5や黄砂など)が騒がれているので、出来れば
有機栽培のスギナ茶を手に入れた方がよさそうだ。

土筆(土筆)

スギナと土筆
家から5~6分歩くと山に差し掛かるのだ。
ワラビやゼンマイも良く取りに行ったのだ。
ワラビは葉の開いてない物を選ぶのだ。
葉が開いてしまうと固くなって軸が手で折れなくなる。
ゼンマイもしっかり巻いている物を探す。
それらも摘んで帰ってからが手が掛かるのだ
まず、洗ったらお湯を沸かし、わらを燃やした灰を入れる。
その中にワラビやゼンマイを入れて茹でる。
そのお湯につけたまま一晩置いて灰汁抜きをするのだ。
それから甘辛く炊くのである。
何代、7人家族なのでかなりの量が必要になるのだ。
遊びの一環でもあり、お手伝いの一環でもあり、楽しみながら
取りに行っていたものだ。


ワラビ
ワラビにはワラビ中毒と言われ、発癌物質であるプタキロサイドが含まれいる。
灰汁抜きをすればプタキロサイドは殆んど分解され、ジェノンと言う物質になる。
調理した物であっても、大量に食べると全身が大量出血症状になり、
骨髄が次第に破壊され死に至る。
しかし副食として食べている程度なら害はない。(ウキペディアより引用)


ゼンマイ
ゼンマイには豊富な不溶性食物繊維が沢山ふくまれている。
不溶性食物繊維は、胃や腸の中で水分を吸収して膨らみ、腸の働きを活発にさせ、
身体の有害な物質を吸着する性質が有ると言われているのだ。
その後、この様なのどかな所での生活は、思い出になってしまうのである。
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ゼンマイとワラビ、 * by umi925
お早うございます、
土筆は散歩時見かけましたが未だ食べた事がありません来春のお楽しみです、ゼンマイとワラビのどちらかでしょう 羊歯の赤ちゃんだと思いますが西独逸でも街から車で15分位の郊外で採り灰汁抜きは出来ませんでしたが食べた記憶は鮮明ですとはご一緒された方が和歌の本を出されて私とのワラビ?採りを詩にページに印をでの本を送って下さり想い出が強いです、
貴女は関西在住ですか?、ご自分の洋服今でも作られて・・・オートクチュールを生業にだった私はとんと洋裁からは遠い存在ちょっと恥じ入ります。
土筆は散歩時見かけましたが未だ食べた事がありません来春のお楽しみです、ゼンマイとワラビのどちらかでしょう 羊歯の赤ちゃんだと思いますが西独逸でも街から車で15分位の郊外で採り灰汁抜きは出来ませんでしたが食べた記憶は鮮明ですとはご一緒された方が和歌の本を出されて私とのワラビ?採りを詩にページに印をでの本を送って下さり想い出が強いです、
貴女は関西在住ですか?、ご自分の洋服今でも作られて・・・オートクチュールを生業にだった私はとんと洋裁からは遠い存在ちょっと恥じ入ります。
Re: ゼンマイとワラビ、 * by アカタイル
> お早うございます、
> 土筆は散歩時見かけましたが未だ食べた事がありません来春のお楽しみです、ゼンマイとワラビのどちらかでしょう 羊歯の赤ちゃんだと思いますが西独逸でも街から車で15分位の郊外で採り灰汁抜きは出来ませんでしたが食べた記憶は鮮明ですとはご一緒された方が和歌の本を出されて私とのワラビ?採りを詩にページに印をでの本を送って下さり想い出が強いです、
> 貴女は関西在住ですか?、ご自分の洋服今でも作られて・・・オートクチュールを生業にだった私はとんと洋裁からは遠い存在ちょっと恥じ入ります。
コメントを頂いて有難う御座います。
幼少の頃は田舎に住んで居りましたので、毎年土筆を食べて居りました。
今時は灰が手に入りませんので、重曹でも灰汁抜きは出来ますので、来春は是非召し上がって下さいませ。
おいおいブログに書いて行きますが、今は関西に住んでおります。
洋裁は子供の頃から好きで縫って居ります。
あなた様は洋装店等なさっておられたのでしょうか?
西ドイツにお住まいだったのでしょうか?
ブログは読ませて頂きます。
いつも有難う御座います。
> 土筆は散歩時見かけましたが未だ食べた事がありません来春のお楽しみです、ゼンマイとワラビのどちらかでしょう 羊歯の赤ちゃんだと思いますが西独逸でも街から車で15分位の郊外で採り灰汁抜きは出来ませんでしたが食べた記憶は鮮明ですとはご一緒された方が和歌の本を出されて私とのワラビ?採りを詩にページに印をでの本を送って下さり想い出が強いです、
> 貴女は関西在住ですか?、ご自分の洋服今でも作られて・・・オートクチュールを生業にだった私はとんと洋裁からは遠い存在ちょっと恥じ入ります。
コメントを頂いて有難う御座います。
幼少の頃は田舎に住んで居りましたので、毎年土筆を食べて居りました。
今時は灰が手に入りませんので、重曹でも灰汁抜きは出来ますので、来春は是非召し上がって下さいませ。
おいおいブログに書いて行きますが、今は関西に住んでおります。
洋裁は子供の頃から好きで縫って居ります。
あなた様は洋装店等なさっておられたのでしょうか?
西ドイツにお住まいだったのでしょうか?
ブログは読ませて頂きます。
いつも有難う御座います。
中学校の修学旅行のお話なのだ。
旅行先は船で行く京阪神だった。
出掛ける前は、バタバタしていて夕御飯を食べるのを
忘れて船に乗ったのだ。
やがて鳴門海峡に差しかかつた。
余り大きい船ではなかつたのでかなり揺れた。
大半の人は船酔いで大変だった。
私は幸いにも夕御飯を食べて無かったので船酔いは免れたのだ。
大阪港に到着した。
奈良・京都を見物した。

当時の奈良・興福寺だと思います。なにせ古い写真なので。

当時の京都・銀閣寺
京都のお土産屋さん(京極)では、華やかな通りに見たこともない物が沢山有り、
珍しくて動けなくなった。.

当時の京都・平安神宮
大阪では最後に「そごうデパート」に行ったのだ。
なんと、階段が動いてるではないか!!
エスカレーターを始めて見たのである。
珍しさから、上がったり降りたりと、何回も繰り返して居たら店員さんに叱られた。
慌てて逃げた時に水筒を置き忘れてしまったのだ。
すぐに気が付いて取りに戻ったが見つからなかったのだ。

当時の大阪・朝日新聞社屋
田舎では物が無くなると言う経験をした事がなかったので、非常にショックだった。
帰宅した時には母に叱られたのだ。
珍しい物を始めて見た時の興奮は半端ではないのだ。
修学旅行生を見ると、遠い昔を思いだすのだ。
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旅行先は船で行く京阪神だった。
出掛ける前は、バタバタしていて夕御飯を食べるのを
忘れて船に乗ったのだ。
やがて鳴門海峡に差しかかつた。
余り大きい船ではなかつたのでかなり揺れた。
大半の人は船酔いで大変だった。
私は幸いにも夕御飯を食べて無かったので船酔いは免れたのだ。
大阪港に到着した。
奈良・京都を見物した。

当時の奈良・興福寺だと思います。なにせ古い写真なので。

当時の京都・銀閣寺
京都のお土産屋さん(京極)では、華やかな通りに見たこともない物が沢山有り、
珍しくて動けなくなった。.

当時の京都・平安神宮
大阪では最後に「そごうデパート」に行ったのだ。
なんと、階段が動いてるではないか!!
エスカレーターを始めて見たのである。
珍しさから、上がったり降りたりと、何回も繰り返して居たら店員さんに叱られた。
慌てて逃げた時に水筒を置き忘れてしまったのだ。
すぐに気が付いて取りに戻ったが見つからなかったのだ。

当時の大阪・朝日新聞社屋
田舎では物が無くなると言う経験をした事がなかったので、非常にショックだった。
帰宅した時には母に叱られたのだ。
珍しい物を始めて見た時の興奮は半端ではないのだ。
修学旅行生を見ると、遠い昔を思いだすのだ。
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NoTitle * by アンジェラ
階段が動いているには、思わず声を出して笑ってしまいました。店員さんに怒られたくだりや、物が無くなる経験がなかったことや、どれも最高に面白かったです。面白いって言うのは、失礼なんですけどどうかご勘弁を。
こんばんは! * by やまざくら
前から見させて頂いてるのに、初めてコメント書きました。
本当ですね・・・修学旅行、懐かしいですね。思い出します。
昔は、エレベーターなんて無かったから、珍しくて何度も乗って
しまいますよね~(笑)
私も、前のブログが自分の人生について書いてましたので(人生いろは日記)
気になって読ませて頂くようになりました(^_^)
私のブログもいつもご訪問していただいて、ありがとうございました。
今度リニューアルして、ブログを再開しました。
ブログタイトルは「セピア色の風」です。
宜しかったら、またお越しくださいませ。お待ちしています(^o^)
本当ですね・・・修学旅行、懐かしいですね。思い出します。
昔は、エレベーターなんて無かったから、珍しくて何度も乗って
しまいますよね~(笑)
私も、前のブログが自分の人生について書いてましたので(人生いろは日記)
気になって読ませて頂くようになりました(^_^)
私のブログもいつもご訪問していただいて、ありがとうございました。
今度リニューアルして、ブログを再開しました。
ブログタイトルは「セピア色の風」です。
宜しかったら、またお越しくださいませ。お待ちしています(^o^)
Re: こんばんは! * by アカタイル
> 前から見させて頂いてるのに、初めてコメント書きました。
> 本当ですね・・・修学旅行、懐かしいですね。思い出します。
> 昔は、エレベーターなんて無かったから、珍しくて何度も乗って
> しまいますよね~(笑)
>
> 私も、前のブログが自分の人生について書いてましたので(人生いろは日記)
> 気になって読ませて頂くようになりました(^_^)
> 私のブログもいつもご訪問していただいて、ありがとうございました。
> 今度リニューアルして、ブログを再開しました。
> ブログタイトルは「セピア色の風」です。
> 宜しかったら、またお越しくださいませ。お待ちしています(^o^)
こんばんは。
コメントを有難うございました。
大昔の話ですね。
あの当時のデパートはなくなってしまいましたが、懐かしいですね。
田舎娘が都会に出てきて見るものすべてが新鮮でしたので今でもはっきりと記憶に残っております。
ブログのタイトルが変わったのですね。
先ほど読ませて頂きました。
日活映画も懐かしいです。
これからも訪問させて頂きます。
有難うございました。
> 本当ですね・・・修学旅行、懐かしいですね。思い出します。
> 昔は、エレベーターなんて無かったから、珍しくて何度も乗って
> しまいますよね~(笑)
>
> 私も、前のブログが自分の人生について書いてましたので(人生いろは日記)
> 気になって読ませて頂くようになりました(^_^)
> 私のブログもいつもご訪問していただいて、ありがとうございました。
> 今度リニューアルして、ブログを再開しました。
> ブログタイトルは「セピア色の風」です。
> 宜しかったら、またお越しくださいませ。お待ちしています(^o^)
こんばんは。
コメントを有難うございました。
大昔の話ですね。
あの当時のデパートはなくなってしまいましたが、懐かしいですね。
田舎娘が都会に出てきて見るものすべてが新鮮でしたので今でもはっきりと記憶に残っております。
ブログのタイトルが変わったのですね。
先ほど読ませて頂きました。
日活映画も懐かしいです。
これからも訪問させて頂きます。
有難うございました。
父がコンサートのチケットを手に入れたのだ。
ヴァイオリニストの「辻久子さん」だ。
母が洋服を作ってくれた。
姉と私、母自身と3人分だ。
どうやら徹夜で数日かけて作ったみたいだった。
有名な方なので失礼にならない様にドレスコードがあったのかもしれないのだ。
コンサートは夜だったので、素晴らしい音色に、コンサートから帰ってからも
余威で中々寝付かれなかったのだ。

又、有る時は、当時子役で活躍して居た
「鰐淵晴子さん・朗子さん姉妹」だったのだ。
可愛らしくて上手で、私も早くあんなに弾けるようになったら良いなぁ~~と
思っていたのだ。


この時も母は洋服を作ってくれたのだ。
洋服を作ってくれる時は何時も、姉とは同じ生地でデザイン違いか、
デザインが同じで生地が違うか、兎に角姉妹である事を強調して居たのだ。
それと言うのは姉とは同じ親から生まれたとは思えない様な、
身長も顔形も、性格も全く違う姉妹で有ったからなのだ。
本当に器用な、神経の細やかな母だ。
いつも母に感謝していたのだ。

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ヴァイオリニストの「辻久子さん」だ。
母が洋服を作ってくれた。
姉と私、母自身と3人分だ。
どうやら徹夜で数日かけて作ったみたいだった。
有名な方なので失礼にならない様にドレスコードがあったのかもしれないのだ。
コンサートは夜だったので、素晴らしい音色に、コンサートから帰ってからも
余威で中々寝付かれなかったのだ。

又、有る時は、当時子役で活躍して居た
「鰐淵晴子さん・朗子さん姉妹」だったのだ。
可愛らしくて上手で、私も早くあんなに弾けるようになったら良いなぁ~~と
思っていたのだ。


この時も母は洋服を作ってくれたのだ。
洋服を作ってくれる時は何時も、姉とは同じ生地でデザイン違いか、
デザインが同じで生地が違うか、兎に角姉妹である事を強調して居たのだ。
それと言うのは姉とは同じ親から生まれたとは思えない様な、
身長も顔形も、性格も全く違う姉妹で有ったからなのだ。
本当に器用な、神経の細やかな母だ。
いつも母に感謝していたのだ。

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